荒川静香さんが日本人で三人目のフィギュア世界殿堂入りしたというニュースが飛び込んできました。
おめでとうございます!
目次 Contents
世界フィギュアスケート殿堂とは?
世界フィギュアスケート殿堂とは、フィギュアスケートの発展に大きく貢献したと認められる者に与えられる賞で、アメリカに所在しています。
世界フィギュアスケート殿堂の選考は、一般からフィギュアスケートの発展に大きく貢献したと思われる殿堂入り候補者を募り、23人の選考委員によって決定されます。選手の選考に関しては、アマチュア引退から5年経過しなければ殿堂入り候補者にはならないと定められています。
殿堂入りした人物はいずれも選手やコーチとして多くの実績を残した者が選ばれています。
1976年から登録があり、アメリカから8人、カナダ1人、オーストリア2人、イギリス2人、ノルウェー2人、スイス2人、スウェーデン2人、フランス2人が登録されました。
2001年に札幌オリンピック銅メダリストで銀盤の妖精といわれて愛されたジャネット・リンさんが殿堂入りしています。
2004年には女子史上初のトリプルアクセルと3+3コンビネーションジャンプを成功させた伊藤みどりさんが日本で初めて殿堂入りしました。
2008年に、浅田真央さんのコーチを務めたタチアナ・タラソワさん等がコーチとして殿堂入り。
2009年には、羽生弓弦選手のコーチとして有名なブライアン・オーサーさん等が殿堂入り。
2010年に、荒川選手、浅田選手、小塚選手らを育てた佐藤信夫コーチが殿堂入りしています。
そして2018年、荒川静香さんがオリンピック金メダリストとして殿堂入りしました。
荒川静香さんのプロフィール
誕生日/1981年12月29日(36歳)
出身地/東京都品川区
元コーチ/ニコライ・モロゾフ、タチアナ・タラソワ、リチャード・キャラハン、佐野稔、佐藤久美子、染矢慎二、長久保裕
所属/プリンスホテル
家族/父 サラリーマン、母 幼稚園教諭
1981年 誕生
1983年 父の転勤に伴い宮城県仙台市に転居
1986年 5歳でスケートを始める
1988年度 本格的にフィギュアスケートを始める
1990年度 小学3年生で5種類の3回転ジャンプを成功させて天才少女と言われるようになる。
1993年度 全日本ジュニア選手権に出場し7位。初めての国際大会トリグラフトロフィー優勝
1994年度 中一で二度目の全日本ジュニア選手権で優勝し、その後同大会史上初の3連覇を達成。
1996年度 中三で全日本選手権にシニアで出場し2位。
1997年度 東北高校に入学。全日本選手権優勝。1枠しかない長野オリンピックと世界選手権枠を勝ち取る。長野オリンピック14位。世界選手権22位。
1998年度 日本選手権2連覇。アジア冬季競技大会2位。四大陸選手権6位。世界選手権に1999年度とも選出されず。
2000年度 早稲田大学に入学。新横浜のプリンスクラブに在籍し染矢慎二にはじめてマンツーマンで師事。日本選手権2位。
2001年度 佐藤久美子に師事。日本選手権2位。四大大陸選手権2位。
2002年度 練習拠点を神宮外苑スケートリンクに移し佐野稔に師事。振付をニコライ・モロゾフに依頼。全日本選手権3位、ユニバーシアード冬季競技大会優勝、冬季アジア大会優勝、四大大陸選手権2位、グランプリファイナル4位。5年ぶりの世界選手権総合8位。
2003年度 練習拠点をアメリカに移し、世界選手権前から指導を受けていたキャラハンコーチに師事。GPシリーズすべてに表彰台、全日本選手権3位。世界選手権に選出される。試合の3週間替えにタラソワコーチに師事し、世界選手権優勝。
2004年度 プリンスホテルに入社。NHK杯優勝、GPファイナル2位。世界選手権総合9位。
2005年度 全日本選手権3位、トリノオリンピック出場選手に選出。モロゾフに師事、日本では佐藤に師事した。トリノオリンピック金メダルでスタンディングオベーションを受ける。スピンとスパイラル7つすべてレベル4、二つのステップは最高難度レベル3を獲得した。
2006年度 プロ転向。
2011年度 日本女子選手の『ミスサイゴン』初の振り付け。
2012年度 日本スケート連盟理事に選任。プロアマ混合国際大会第一回メダルウィナーズ・オープン初代女王。
2013年 一般男性と結婚
2014年度 日本スケート連盟副会長に選任。11月女児出産。
荒川静香さんのスケーティング
荒川さんのプロフィールを追ってみると、才能が開花したのは小学生のころで、早熟の天才少女といえます。中学生で世界の舞台に立ち活躍するのですが、高校に入学したころからあまり結果が出せない時期を過ごしていたようです。
転機が来たのは親元を離れてからのようです。たびたびコーチを変えているのですが、変わるたびにステージアップしている様子が見えます。
それでも、前コーチとの関係は不仲になっての事ではないのでしょうね。
オリンピックで金メダルを取った曲は「トゥーランドット」。重厚でドラマティックな曲想が荒川さんのスケーティングにぴったりです。
会場に立った時、「勝てる」と思ったと金メダル後のインタビューで語っていたことを思い出します。この曲を選んだことで勝利の女神がほほ笑んだ、というようなことを言っていたと記憶しています。
長身から繰り出される端正で無駄のない美しい動き。荒川イナバウアーに凝縮されたようなスケート美学。
イナバウアーであのように上体をそらせても採点とは関係ないと知っていても、オリンピックのこの会場でイナバウアーをすることにこだわったと言います。ある意味哲学的に探求しもがいただけ大輪の花が咲いた、その瞬間に立ち会った私たちは同じ日本人として誇りに思ったことを覚えています。
やぎ座の荒川静香さんのホロスコープ
荒川さんは30歳の若さで日本スケート連盟の理事に選任されています。
その重責に耐える安定感は太陽星座やぎ座の真骨頂ですね。
コーチをずいぶん変えているのですが、そのたびにレベルアップしつつコーチとの関係を壊さないことで、信用にたる人格だということがよく解ります。土星が必ず良い働きをしているのだと思います。
実際土星は冥王星と重なる位置にあり、重責を免れることはないと思われます。
太陽と火星は良い関係にあって競技人生を歩むこと、木星が金星と関係がよく華々しい舞台に立つことを表していると思います。
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