平昌パラリンピックで金メダル!すごい!!
村岡桃佳選手、おめでとう!!!!!
「桃」というと、ピンクでとても愛らしく、それに甘くてなめらかで超絶うまい!!
というイメージがありますが、「桃太郎」のお話通りに実はとても強い祓いや降魔の伝説があります。
名は体を表します。
桃佳選手にもきっとそんな力強いストーリーがあると思いますので、じっくり調べていきます。
目次 Contents
村岡桃佳(むらおかももか)選手のプロフィール
誕生日/1997年3月3日生まれ(21歳)
出身地/埼玉県深谷市
身長/150㎝
所属/早稲田大学スポーツ科学部
家族/父、秀樹さん 母、操さん
スキーを始めたきっかけ/中学生の時に森井大輝(パラリンピック出場アルベンスキー選手)に憧れてのめり込んだ競技スキーの世界に入る
星座/うお座
2001年 4歳の時原因不明の横断性脊髄炎に罹患したことにより下半身が麻痺し、以降、車いすでの生活を送る
2014年 ソチパラリンピック 大回転5位入賞
2015年 「トップアスリート入試」で早稲田大学スポーツ科学部に合格したのをきっかけに、早大スキー部の寮はバリアフリー化され、早大キャンパスバリアフリー化が進んだ。
2017年 国際パラリンピック ワールドカップ韓国大会スーパー大回転で2位、白馬村大会で優勝
2018年 平昌オリンピック開幕式で日本選手団の旗手を務める。3月10日アルペンスキー女性滑降(座位)で銀メダル、11日スーパー大回転で銅メダル、14日大回転で金メダルを獲得
村岡桃佳選手!金・銀・銅コンプリート!!の秘密
「父にメダルをかけてあげたい」と村岡選手はレース前、そう話していました。そんな気持ちを初めて知ったという秀樹さんは「大号泣」したそうです。
同じ目線の父の協力があってこそ
4歳の時病気で歩けなくなったときに娘のことを理解したいと、車いすを使ったスポーツ「テニス、バスケット、アイスホッケー」などを娘と二人で楽しんだといいます。その中でも車いすマラソンには表彰台に上るほど打ち込んで、「幸せな時間だった」というほど楽しんだそうです。
そんな中、娘の苦労を誰よりもよく知る父は「勝ったうれしさより苦しかったことが思い出され」ねぎらいたいとおっしゃっています。
「車いすが使える体育施設が限られていること」「スポーツ用の義足は保険が使えない」などインフラのバリアが立ちはだかったのです。
早稲田大学スキー部員と監督の連携
平昌オリンピックで銀メダルを取ったノルディックの渡部選手を育てた早稲田スキー部の監督だった倉田氏は最初、村岡選手の入部に反対していたそうです。それは早稲田スキー部の目標が「インカレ(全日本学生選手権)でありそれに貢献できない選手を”推薦”で入れるべきではない」という意見もあったためでした。
スキー部員が一人でも反対したら、村岡をアスリートとして入学させるのはやめようと考えていたと言います。
けれど、村岡選手の練習ぶりを知っていたスキー部員もいて、反対する部員が一人もいなかったそうです。そればかりではなく部員は、模擬面接の相手を務めるなどして村岡選手をサポートしたと言います。
めでたく合格した村岡選手に倉田氏「特別視するつもりはない。スキー部の寮で共同生活してもらう」と言いわたします。
それを可能にする寮のバリアフリー化のため、大学に掛け合ったのでした。
ケガをしたスキー部員の支えになる
アスリートは怪我が付き物です。期待されながらもケガに苦しみや悩む選手も多いのです。
カラダが回復しても心がついていかないこともあるでしょう。
そんな時に村岡選手の存在が励みになり、勇気になると言います。
「怖いし痛いし寒いし、何度も心が折れそうになった。
でも、世界に挑みたいという強い思いもあったし、
父が一緒にいてくれたからここまでできた」
全てのアスリートが応援者を得てメダリストになっています。
どのアスリートよりも障害を持っているために周囲のすべてが協力者として巻き込まれます。
巻き込まれるからこそ、大きな喜びと幸福を応援者こそが与えられるのか。。。と改めて感じます。
それをお父様の「幸せな時間だった」という言葉が教えてくれます。
村岡桃佳選手のチェアスキー
村岡選手のインタビュー記事を読むと「なんてラッキーな人なんだろう」と思ってしまいます。
もちろん病気にかかってしまったことは一般的にみれば「アンラッキー」です。
でも村岡選手には、最強のサポーターであるお父さんがいました。
お父さんがそばにいたことーラッキー1⃣
お父さんはいつも一緒に練習につきあい、スキーを始めてからは毎週スキー場に通ったそうです。
コーチもいない、練習方法もわからない状況でこそこそ練習「コソ練」したそうです。
一流アスリートとチェアスキーを始めて間もなくであったことーラッキー2⃣
スキーに初めて行ったことも人に誘われてであり、スキー場でトップの滑りを見ていたら、滑ってみる?と誘われたそうです。
人懐こく、愛されキャラである片鱗が感じられます。
早稲田大学の合格とバリアフリー化へーラッキー3⃣
つぎつぎ起きる奇跡的な出会いが、周囲の風景を変えていきます。
ただ、村岡選手がそこにいるだけで景色が色を変えるような印象をもちます。
その存在そのものが希望となる。勇気となる。幸せとなる。そんな大きな存在に見えます。
100㎞近いスピードで風を切る。
それがたまらなく気持ちいいと、そういう村岡選手です。
うお座の村岡桃佳選手
やっぱり「火星(活動性)」がよく働いています。
「土星(努力・カルマ)」と「冥王星(宿命)」が密接に関係していて、相当な努力と根気の人だということを示しています。
そしてミニ神の手が、村岡選手のホロスコープにもあります。
村岡選手の行くところ、黒のオセロが白に裏返っていくように環境をどんどんひっくりかえして行くような、そんな使命を持っているような気がします。
女神さまですね^^
(画像出典:NHK)
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