2018年韓国の平昌オリンピックはメダル13個という日本の冬季オリンピック史上最多のメダルを獲得しました。
各選手の血のにじむような努力と、勝利をとりに行く決意と、ファンも含めて選手をささえる環境のすべてが栄光の道へとつながったのだと思います。
選手にまつわるメダルへの道を作ったものは何だったのかについて「ことのまにまに。」の視点で調べます。
平昌オリンピック女子マススタートで鮮やかなレースを展開し感動を与えてくれた高木菜那選手にスポットを当てていきます。
目次 Contents
高木菜那(たかぎなな)選手のプロフィール
誕生日/1992年7月2日生まれ(25歳)
出身地/北海道中川郡幕別町札内北町
身長/155㎝
所属/日本電産サンキョー
家族/父 高木愛徳(よしのり)さん、母美佐子さん、兄大輔さん、妹高木美帆選手
スケートを始めたきっかけ/兄の影響でKSCスケートクラブに入った
星座/かに座
2003年/幕別町ジュニアスポーツ奨励賞を受賞
2004年/第8回全国小学生スピードスケートスプリント選手権大会 女子小学校5年生の部で総合1位
2007年/第27回全国中学校スケート大会女子1000mで優勝
2008年/第28回全国中学校スケート大会女子500mで準優勝
2010年/第65回国民体育大会少年女子1500mで優勝
世界ジュニアスピードスケート選手権モスクワ大会で妹の美帆、同学年の押切美沙紀とともに出場したチームパシュートで銀メダル
第1回ジャパンカップスピードスケート競技会少年女子3000mで優勝
2011年/高校卒業後は日本電産サンキョーに所属
2012年/全日本ジュニアスピードスケート選手権で総合優勝
2013年/全日本スピードスケート距離別選手権大会1500mで3位、3000mで優勝
ワールドカップカルガリー大会のチームパシュートに田畑真紀、菊池彩花と出場し、日本新記録をマークして準優勝
2014年/ソチオリンピックのスピードスケート女子1500mに出場し32位、団体女子パシュートでは4位
6月から活動拠点をオランダに移す
全日本距離別選手権大会1500mで優勝し、ワールドカップ出場権を獲得
12月の全日本選手権では1500m、3000m、5000mの3種目で1位、500mで2位の総合164.410の大会新記録で初優勝
2015年/2月世界距離別スピードスケート選手権の団体パシュートに菊池彩花、髙木美帆と出場し、決勝でオランダを破って団体パシュートで日本初の金メダル、1500m15位、3000m18位、マススタート13位
2016年/W杯長野大会、チームパシュート2位
W杯ロシアコロムナ大会 チームパシュート2位、5000m10位
W杯3戦目のアスタナでチームパシュートで優勝、マススタートで2位
2017年/2月韓国江陵での世界距離別選手権大会。チームパシュート2位、マススタート2位
2月札幌冬季アジア大会スピードスケート、女子1500mで3位
3月W杯ノルウェースタバンゲル大会でパシュート(押切美沙紀、髙木美帆、髙木菜那)で2季連続の種目別優勝
11月W杯ヘーレンフェイン大会、パシュート(髙木菜那、髙木美帆、佐藤綾乃)は2分55秒77の世界新記録で優勝
12月平昌オリンピック代表選考会で5000m2位となり代表選出
2018年/2月平昌オリンピック、5000m最下位の12位、パシュート(髙木美帆、佐藤綾乃、菊池彩花)オランダ決勝戦では高木姉妹、佐藤綾乃でオリンピックレコードとなる2分53秒89で金メダル、マススタートで初優勝し金メダル
高木菜那選手をつくった「苦しい練習」と「あきらめない気持ち」
高木菜那選手は、アスリートの家庭というわけではなく2歳年下の妹や1歳上の兄とともに普通に育てられたといいます。
妹はスケートでは早くから頭角を現し2010年バンクーバー五輪の代表に選ばれた「スーパー中学生」高木美帆選手です。
趣味であるダンスもサッカーも常に姉である自分の後追いで始めた妹が、スケートでは先へいってしまったわけです。
2歳違いで身長もスケートの成績でも夢も先を越されて、高校のときはいじけたり落ち込むことが多かったと言います。
ずっと素直に妹の活躍を喜べない自分にもいらだっていたのです。
2013年全日本選手権3000mで優勝したとき、「今年の夏は苦しい練習も積極的にやるようになっていて、1年目や2年目よりも諦めない気持ちを継続できるようになったから、ひょっとしたら強くなるかなと思っていた」と今村監督はコメントしています。
”距離を走る”ということは「苦しい練習」と「あきらめない気持ち」が必要なのですね。
高木菜那選手の経歴を見る限り、世界で成績を残せるようになったのはオランダ留学からですね。
21歳で出場した2014年のソチオリンピックで結果を出せず、相当悔しく情けないキモチがあったのでしょう。
世界で戦うメンタルを作らなければ、と危機感をもち「苦しい練習」と「あきらめない気持ち」にますます磨きをかけたのですね。
妹に先を越されてもあきらめず、妹にソチ五輪切符を手にして勝ってからも、試合に負けてからも、とにかくあきらめず食いついていく粘り強さを感じます。
平昌オリンピックのマススタートでの芸術的ともいえるあの勝ち方をするために、2010年バンクーバーで妹に先を越されたときからの苦しい8年間はあったと思えます。
マススタートの芸術的レース展開、高木菜那選手
マススタートは、初めてオリンピック種目に加えられたという事で、筆者自身競技が始まってからルールを知ったひとりです。
1周400m×16周を中間順位ポイント3回に5点づつと最終順位1位60点、2位40点、3位20点を合計したポイント数を争います。
予選と決勝の戦い方は異なります。
予選は5点取れるだけで通過できるので、3回ある中間ポイントのどこかで1回だけ1位を獲得していきます。
決勝の場合、メダルを狙う選手は最終順位が重要なので、中間ポイントは捨てます。
今回4位の選手はメダルをはじめからあきらめて3回の1位通過でポイントを稼ぎ4位を狙うというレース展開でした。
高木選手のレースは、予選では1回目のポイントを確実にとって、あとはつかず離れずのレース展開でした。
決勝では、スロースタートの隊列の後ろから3番目ぐらいの位置に付けていました。
どうやら自分のペースメーカーをオランダの選手と決めてずっと後ろについていたようです。
その高木選手をペースメーカーにしていたのが銀メダルをとった韓国の選手で、前に行こうが後ろに下がろうが高木選手にずっとくっついていました。
ラスト3週目か2週目で1位の選手を抜いてレースの緊張感が高まってきました。
その時1位オランダ、2位高木、3位韓国という順位でした。
ラスト一周をきってすぐのカーブで、金メダルへの道がスッと開けました。
すかさず栄光の道を駆け抜け、ゴール寸前の滑りで伸び、差がひらいて圧巻の勝利でした。
この芸術的な金の道を見られる人はほんの一握りでしょう。
高木菜那選手が女神に愛されたわけ
高木菜那選手は見た目は小柄かつ童顔で、妹よりも年齢が下に見られることがあるかもしれません。
けれども、負けん気やあきらめない粘り強い心を持っています。
金メダルをとっても、当然のことのように受け止めていた姿が印象的でした。
高木選手にとってメダルは「当たり前に、取れるもの」という心境で臨んだと思われます。
長野オリンピックから3回連続メダルを獲得した清水宏保氏が「決勝進出の日本人選手が1人になったことで、逆に遠慮なく金をとりに行けるでしょう」と、レース直前にコメントしていた通りの結果になりました。
レース直後のインタビューで「佐藤選手とワンツーフィニッシュするつもりでいた」と高木選手が語るのを聞いて、マススタートは個人競技なのだけれども、みんなで滑っているんだなという印象を強く持ちました。チームの誰が勝ってもいい、と思っていたのでしょう。
レース後の落ち着きは「これまで一緒にやってきたチームみんなの総意として自分はここに居る」という自信と感謝からくるものだったのでしょう。
高木選手自身がスケートチーム日本の勝利の女神だったのかもしれません。
どんな星の神さまが高木選手をサポートしているのでしょう。
かに座の高木菜那選手
アスリートにとって、しかもスピードを競うのに重要な星というと「火星」ですね。
火星がどのように他の星と関係しているかなどはとても重要です。
高木選手の火星はまさに、木星、天王星とともに、自らの軸になる太陽と強い絆でつながっています。
金星も絡んでいるので愛されキャラであることも読みとれますね。
カリスマ性も申し分ない、恵まれた星の下に生まれているなあ、と。
公私ともにバランスの良い一生を送られるのではないかなと感じられます。
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