このところ、テレビドラマで復讐劇が続いています。
ただ、2018年4月期の復讐劇『モンテ・クリスト伯~華麗なる復讐~』は少々趣が異なっていました。
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『モンテ・クリスト伯~華麗なる復讐~』あらすじ
第一話は好青年の漁師・暖(ダン)がスミレに婚約指輪を贈る場面から始まりました。それは結婚式の祝福ビデオの映像であり、結婚式でそれをみんなが見て祝福しています。しあわせの絶頂でした。
幸福の絶頂にいた暖とスミレ。その二人に突然の罠が襲い掛かります。
暖は不正取引の容疑者として連行され、アデル共和国に引き渡されて投獄され、いわれの無い拷問を執拗に受けます。
「うそだろ」
「夢なら覚めてくれ」
結婚式、天真爛漫に歓びハッピーを絵にかいたような暖とスミレは、真っ逆さまに悪夢へと引きずり込まれたのです。
いったいなぜ。
その原因は”幸せの絶頂”が、知らずに犯させる罪にあったのです。
暖は、先輩を差し置いて船の船長に指名されました。先輩はココロが広くて、そんなことなど意に介していないと暖に言いました。また、親友が心を寄せる女性のハートを射止め、結果として奪うことにもなりました。幼馴染の彼女を愛する親友から大切な人を奪ったにもかかわらず、親友は暖が彼女の相手なら仕方がないよと背中を押しました。いい人に囲まれて暖は幸せでした。
奈落の底は幸せの絶頂のすぐ隣にあることに人はまったく気づかないものなのでしょうか。
いつ死んでもおかしくないほどの拷問に遭った暖ですが、一人の人物との出会いで財産と教養を牢獄にいながら身に着けることになります。
自分がなぜ投獄されたのか、誰が自分を罠にはめたのかを知り、愕然とします。故郷に舞い戻った暖は、事実を知りそして復讐劇が始まるのです。次第につまびらかになってゆく「いい人」たちの今。15年たって、先輩も親友もみんな暖とは真逆に成功者にのし上がっていました。暖の「奈落」と引き換えにして彼らは夢だった「天国」を手に入れていたのでした。
■死んだのは、ターゲットではなく
復讐のターゲットは、冤罪をでっちあげた次期警視総監入間(イルマ)と、彼にうそのタレコミをして罠にはめた親友南条(ナンジョウ)と、暖をはめるすべての計画を立てた先輩神楽(カグラ)の三人でした。
しかし、結果としては三人ともに生きのこりました。
「死」には「死」を、という復讐劇であるはずです。例えば暖の母親は、不動産屋に転身した神楽の差しがねですでに亡くなっていました。暖を船長に指名した恩ある社長は、神楽や入間の圧力で会社は傾き、最後には病気で亡くなってしまいました。
「死」には「死」を。
「絶望」には「絶望」を。
ドラマのイメージはいつも誰かが痛めつけられ殺されました。憎しみが生まれる瞬間をそうして表現していました。
同じ苦しみを味わわせる。
自殺に追い込む。
発狂させる。
復讐で苦しみを追体験するのです。
そうしながら、死を与えるべき三人は最終的には生きのこったのです。
■何のための復讐か?
暖の元婚約者であるスミレは「もうこれくらいにして」「もう終わりにして」「これ以上苦しまないで」と暖に訴えかけます。傷つける人こそ魂は傷つくのです。けれどもモンテ・クリスト真海は「お前は何もわかっちゃいない。復習して何になる、虚しいだけだと人は言うが、そうじゃない。同じ思いを味わわせることが最高の幸せだ」と突き放します。
そしてなぜか「何もかも捨てて、自分と結婚して二人で幸せになろう」とスミレにいいます。そのセリフが物語の中で、空虚な空気の中を、いたたまれないように漂っていました。
その返事をスミレの夫である南条と神楽の前で言わせます。「イエスならばもう復讐はおわりにする」といって。
今回の復讐劇にかかわる昔馴染み全員に「復習を完璧に成し遂げた」ことを確信させ、その証言をさせるために。
■「憎しみ」という感情の変化
神楽は、暖が受けたのと同じ拷問を受けました。神楽の中で15年も前の仕打ちを、こんな形で返されるのは割が合わないと思ったらしく「お前(暖)がますます嫌いになった」といい放ちました。暖を陥れた時は、軽く自分を追い越していった後輩の背中を見なければならない嫉妬と憎しみが、今では、卑怯にも自分の背中を引っ張られたことへの憎しみに代わっていました。
親友の南条の方はというと、罪悪感にさいなまれて一旦は自殺を試みるものの、自分を仇と追う女性の手で助けられます。そして、「もう自分は終わった」と言いながらも「なんで自分だけこんなに苦しまなきゃいけないんだ」という気持ちが芽生えるのです。ただ、勇気がなく臆病だっただけのことでいつも罪悪感でしめ殺されそうだった。本当に悪い奴はほかにいるのになぜこんな理不尽な目に合うのかと、真海へ憎しみが芽生えます。そうすることで罪悪感から自由になりました。
こうして神楽が「暖」になり、南条が「暖」になる。そして真海としてあの時の「神楽」や「南条」を追体験したのです。
プラスマイナス「ゼロ」にするということ
「暖」の無念を神楽と南条が追体験し、物語は終わりました。
感情を全部白紙に戻す。お互いさまで恨みっこなしにする。そういう意図がこの復讐劇にはあったのかなと思いました。
神楽は、暖と同じ拷問を受けたことで、贖罪は終了し、心の重荷を一つ下せました。
南条は、暖と同じ理不尽さを受け入れることで、罪悪感を減らし、心の重荷を一つ下しました。
「もうモンテ・クリスト真海は死んだ。復讐は終わった。」
「もう贖罪は終わり、罪の意識にさいなまれる必要もない。」
モンテ・クリスト真海の復讐によって、隠れた犯罪者たちは魂の安堵を得ることができたのです。
「傷つけるものこそ見えないところで魂は傷つく」
「傷つけられるものには見えていなかった自分の罪が浮かび上がる」
最終回モンテ・クリスト真海が「最後の仕事を」といって手下に向かわせた先は「殺し」ではなく「生かし」でした。
その行為によって本当の悪を暴き出すことをしました。
暖である”モンテ・クリスト真海”にはダーティイメージはなく、常にクリーンなままでした。
悪い輩たちの毒牙にかかった人たちを救い出しながら、キレイな復讐を完成させたのです。
■警視総監候補入間とモンテ・クリスト真海の攻防戦の勝者は?
警視総監候補の入間のキタナさとモンテ・クリスト真海は常に白黒対比できる関係にありました。
自ら手を下す愚かさVS自ら手を下さないズルさ
責任を取らない卑怯さVS死をいとわない駆け引き
愚かな権力欲VS純真さへの憧れ
キタナい隠蔽VSキレイな復讐
大人の忖度まみれのキタナく息苦しい世の中と、忖度に巻き込まれる「純真」なまごころは、どちらが生き残るのだろう?
その問いに対して、この物語はどう答えたのでしょうか
入間の、殺人者である妻は自殺し、入間は自らの悪行が暴露され地位を失いました。地位を失うことは彼にとって発狂するだけの破壊力があったようです。地位を守るためだけに暖を陥れ、そして地位を守るためだけに我が子を殺そうとする愚かな人物として描かれた入間は刑務所病院に”監禁”されます。暖を人とも思わず陥れてその人生を理不尽に奪った代償は、一家離散と発狂と犯罪者として檻の中の不自由な人生でした。当然の報いをドラマの中で見ることができたことで重苦しさが少しは晴れます。
■なぜ、スミレにこだわるのかがよくわからなくて、表現がボケている
「心がきれいで明るく素直な美人」それがスミレなのでしょう。
男たちのゆがんだ嫉妬、奸計、打算、権力願望、地位、名誉のために人を虫けらのようにしか見れない大人たちの中に可憐に咲く花のイメージ。
おそらくは、何の悩みもないあの頃の純粋無垢な幸せの象徴がスミレだったのでしょう。
暖は、臆病でも卑怯でもなく心配性でもなく、人を疑いもしない清々しい人間だったはずです。
暖の一番いい姿をピンナップに止めておくことは、これから15年分の恨みを晴らそうと復讐に手足を染めるという時に、「復讐の終着点」を決めることだったのでしょう。
自分がもうすでに失ってしまった「清廉潔白さ」がスミレの存在には壊れることなくあって、それを思い出すことで「ゼロにする」という復讐の意味を教えてくれる姿がスミレだったのではないかと。復讐で戻るべき”あの一点”の象徴がスミレだったのだと思うのです。
でも、はっきり言うと役不足でした。
スミレの透明感や凛としたたたずまいや再プロポーズの時の表情など、すべてにおいて何というか「なんでこの人に執着するの?」という感想がわいてくるのを止められませんでした。さいごまで。
再プロポーズとそれをOKするシーンは、復讐の終わりを告げるとても重要なシーンだったはずなのに、ちょっと残念な感じにさらっと終わりました。・・・すべてを女優のせいにするのは酷ですね。※『アオイホノオ』のヒロイン役が大好きだっただけに、あれを超えるキャラクターを演じていない気がします。
完成された”美しい復讐”
『モンテクリスト伯~華麗なる復讐~』は、映像も美しく、今も耳に残る音楽もとてもよく、話のテーマも余韻が残り考えさせられるとても秀逸なドラマだったと思います。
”完結する美しい復讐”
それがモンテ・クリスト真海のテーマだったと思います。
死ぬべき人は宿命として死に、罰を受けるべき人は適切な罰を受ける。
冤罪は晴らし、嘘は白日の下にする。
15年かけて、復讐が完結する部分まで綿密に計画された復讐です。しかし、復讐を終えた暖の表情に輝きはありませんでした。
■復讐者に幸せはもどるのか
権力者による陰謀に対して、何の背景も持たない人間は虫けらのように社会から葬られてしまう。そんな理不尽に対抗するには「巨額の財力」「情報収集力」「人心掌握術」が必要だとこのドラマは伝えています。
そして「権力者VS真海」という図のほかにもう一つ際立っていたのは「困っている人に親切にするという徳を積んだ人間」と「自分の幸せだけにフォーカスした人間」の末路というものでした。三つの力を身に着けたモンテ・クリスト真海の唯一の希望は、純粋な人たちの未来なのでしょう。
最後、半ば放心したように海岸を歩く暖に目の輝きはありません。
復讐の舞台になった別荘とともに自らの命を燃やす、その炎の中から救い出された暖は再び”浦島太郎”となったのです。
今は目の前に、会うべき人間は一人もいないのです。
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