何十年ぶりかの大雪で、大変な福井、金沢など北陸です。
常に北からの猛威を受ける、日本海側に面し、背後には日本列島の山脈が立ちはだかった地形は、古代、どのように見られていたのでしょう。
漆(うるし)は英名JAPANであり、漆塗りについては日本特有の技術と文化を誇っていますが、古代遺跡から出てくる、漆塗りは北陸から東北の日本海側地域にしか分布しないと専門家は言います。
漆塗りという繊細にして耐久性があり、蒔絵など文化と技術の粋を極めた塗り工程は、現代とそれほど変わらないものを縄文人は行っていた資料が博物館でも見られます。北陸、東北の小学生の学力が秀でいることは有名になりましたが、ここには日本一古い歴史と文化の土台があるから・・・?とも思えます。
日本にあるならわしの由来を掘り下げて古文書を様々に読んでいます。
そんな中で日本や世界中にのこるならわしがふんだんに語られている『ホツマツタヱ』以前の世界を辿るヒントが『竹内文書』見つかるのじゃないかと期待が膨らんでいます。
日本にもたくさんある「レイライン」。光の道とかパワースポットとして注目されますが、竹内文書に関係のある「ライン」が中部を縦断しています。
「白鳥羽ライン」「統計137.11度の羽根ライン」「尖山ピラミッドライン」などです。
この三つの”羽根”ラインを行きつ戻りつしてみたいと思います。
目次 Contents
愛知 レイラインの神社・遺跡
愛知県田原町赤羽根(位山羽根ライン)
赤羽根ロングビーチは、サーファーでは有名なサーフスポットです。地図
愛知県岡崎市羽根町(位山羽根ライン)
長野 レイラインの神社・遺跡
八柱神社(長野県伊那郡根羽村) 24度ライン
「根羽(ねば)」 という土地にある神社で、アマテルカミの五男三女神を祀っています。
地名が残るというだけですが、日本では、なんらかの遺跡に木が生い茂ってわからないという事が往々にしてあるようです。
ご祭神/天照大御神の5男3女神
住所/長野県下伊那郡根羽村(シモイナグン ネバムラ)1542 地図
アクセス/稲武地域バス根羽線 万馬瀬バス停 から徒歩3分
名古屋から約00㎞ 153号線を走る
岐阜 レイラインに関わる神社・遺跡
大船神社(岐阜県恵那市上矢作町字高井戸3107番地の1)24度ライン
760年ごろ僧により寺として創建され、聖徳太子の御作と言われる救世観音菩薩を安置するそうです。
当社は1060mの大船山に鎮座し修験道の拠点ともなっていたそうで、弁慶が植えたとされる杉があります。
途中にも人が入れる杉があり、癒しスポットです。
鎮座する神様によれば、当地には水銀が出たのかもしれないですね。
ご祭神/白山比売命(しらやまひめのみこと)キクキリヒメ
気比大神(けひのおおかみ)ニニキネの子ホヲデミ
丹生神(にうのかみ)ワカヒメ
高野神(たかののかみ)イブキドヌシ
稲荷大神(いなりのおおかみ)ウカノミタマ
須我神(すがのかみ)ソサノヲ
住所/岐阜県恵那市上矢作町字高井戸3107番地の1 地図
アクセス/根羽村役場から20㎞北方
中央自動車道 恵那ICから31.7㎞
恵那駅から明智鉄道線に乗り換え、岩村駅から南に20㎞
船岩神社(岐阜県恵那市上矢作町)24度ライン
大船神社からは一旦山を降り、別のルートで山に入った川沿いに鎮座します。
船のへさきの形をした岩の上にお社が祀られています。空飛ぶ船の発着地として、磁場調整をする石なのでしょうか・・・
大船山と恵那山を結んだ直線上に当社配置します。
ご祭神/不明
住所/岐阜県恵那市上矢作町 地図
アクセス/大船神社から12㎞
中央自動車道 恵那ICから31.8㎞
三森神社(岐阜県恵那市岩村町富田字鈴ケ根6番地)
1640年、当地に疫病が流行ったため三森三社を奉じたとあります。
一説に、天照大御神のへその緒を斬った鎌がおさめられているとか。
ご祭神/天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
摂社末社/高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
神産巣日神(かみむすびのかみ)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少名彦名命(すくなひこなのみこと)
住所/岐阜県恵那市岩村町富田字鈴ケ根6番地 地図
アクセス/船岩神社から9.6㎞
中央自動車道 恵那ICから南へ33.3㎞
恵那神社(岐阜県中津川市中津川字正ケ根3786番地の1)24度ライン
天照大御神ご誕生時の胞衣を納めた場所と言われています。
アマテルカミのご誕生は常と異なり胞衣に包まれて誕生しました。時が来たので位山のイチイ笏をもってして胞衣を破りご誕生されました。その時の胞衣が祀られているということです。
樹齢推定千年と言われる夫婦杉(県指定重要天然記念物)が雄々しく並び樹勢今なお盛んです。
安産、子授け、初宮詣、家内安全に御神徳が高い神社として地域住民の信仰を集めています。
羽根ライン近くにあるのは意識されてのことかもしれません。アマテルカミは若き日のタケミカヅチ(ヒノハヤヒコ)に「国絵(地図の事)」を作らせています。日本の地図をお持ちだったのです。
大船山と恵那山を結んだ直線上に船岩神社も鎮座し、空からの運行ラインだったのかも?
ご祭神/伊弉諾命(いざなぎのみこと)
伊弉冊命(いざなみのみこと)
住所/岐阜県中津川市中津川字正ケ根3786番地の1 地図
アクセス/三森神社から35.7㎞
中津川駅からバスで40分 徒歩で15分
中央自動車道 中津川ICから南へ9.8㎞
鮒岩・丸山神社(岐阜県中津川市)24度ライン
鮒岩といい魚を模して作った岩、とのことですが「たい焼きに見えた」とのうわさも。
ここは羽根ライン上にあり”船”の方ですね。船岩だったのでしょう。
飛行艇を模した岩ということで『ムー』にも掲載されたようです。古い由来は全くわかっていないそうです。
神社自体、こんもりした丸い山(丸山)の上にあるようですから、恐らくは人口のお山でしょう。
元々は白山神社だったとのことです。
ご祭神/天照皇大御神
配祀/天水分神 志那都比古神 豊受毘賣神 国水分神
志那津比賣神 伊邪那岐神 大己貴神 菊理姫神
住所/岐阜県中津川市苗木3342 地図
アクセス/恵那神社から15.6㎞
中央自動車道 中津川ICから北に7㎞
笠置神社・笠置山(岐阜県恵那市中野方町2676番地の1)ピラミッドライン
創建 982年。ピラミッド型巨石が多数あるお山。
「 昔時中野方村の中仙道たりし頃、花山院仏道に帰入ましまして、東国を廻り給ふ際、茲に玉杖を休め給ふに、南なる高岳の岩焼として雲に聳へたるは宛然として都の笠置に彷彿たりと叡覧ありし」との謂れあり。
ご祭神/伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
火産霊命(ほむすびのみこと)
水分神(みくまりのかみ)
誉田別神(こんだわけのかみ)
住所/岐阜県恵那市中野方町2676番地の1 地図
アクセス/丸山神社から20.4㎞
中央自動車道恵那ICから北西に16㎞
大舩神社(岐阜県加茂郡八百津町八百津4424番地)位山羽根ライン
860年創建の銀幣社。八百津だんじりという祭りがあり、船形のだんじりが引かれるそうです。
ご祭神/大船大神(おおふねおおかみ)
住所/岐阜県加茂郡八百津町八百津4424番地 地図
アクセス/笠置神社から24㎞
東海環状自動車道 可児御嵩ICから東北へ8.4㎞
岐阜県萩原町羽根 位山羽根ライン
土地の名称。特記事項なし
岩屋岩陰遺跡
通称、金山巨石群。ここは古代の天文観測所です。
住所/金山町岩瀬 下呂市 岐阜県 509-1603 地図
アクセス/大舩神社から56.1㎞
東海北陸自動車道 郡上八幡ICから東へ31.2㎞
位山(岐阜県高山市)東経137.11位山羽根ライン
天神第7代、天照日の大神がこの世に降り立ち政を行ったのが位山に築いた宮だとされています。
昭和の半ば頃、彫刻師に位山を守護する龍神からご神託が降りて太陽神殿や人面龍などが築く新興宗教あり。ながらく人が上らなかった位山が開山したということです。
現在は巨石が点在する、知る人ぞ知るパワースポットになっています。
位山は、里にある飛騨国一宮水無神社の奥宮になります。
里宮で行った日本の政により民も繫栄して世界を統べるひな型となりました。次世代から日本を中心とした世界統治時代に突入していきます。
ご祭神/天照日の大神、天の常立大神、国の常立大神
住所/岐阜県高山市一之宮町 地図
アクセス/岩屋岩陰遺跡から国道41号線で69.1km
船山(岐阜県高山市)24度ライン
山なのに船と名づく場所は古代アメノウキフネの発着所だったという話は真実味を帯びてきている現在です。
位山から歩いて行けるところにあり、やはり巨石があるというお話。地図
地図では車道を示していますが、位山から船山へは歩いていくことができます。
飛騨一宮水無神社(岐阜県高山市)位山羽根ライン
日本の政の中心であった水無神社(みなしじんじゃ)のご祭神は御歳大神で、境内摂社末社がとんでもない賑わいをみせています。
元伊勢皇大神宮に行き、神々が集まる威容の面影を見たのですが、当社の神々の列席はそれ以上ではないかと思えるほどです。
ここが、相当重要な場だったことを示しているのではないでしょうか。
水無神社の拝殿の方向ですが、御嶽山を遥拝する方向になっています。御嶽山のご祭神は国常立命ら三柱です。
クニトコタチと双子のような神が実はトシノリカミなのです。神智学で言う「ロゴスとソフィア」の関係に似ています。
水無神社では「御歳大神」としていますが、トシノリカミのことだと思われます。
クニトコタチとトシノリカミのタッグでこの世に生きる民の暮らしを整えていったのではないかと想像が膨らみます。
御嶽山は、富士山が現在のカタチになる以前から今の威容を誇っています。
竹内文書で皇統14代クニトコタチの神が日本に降り立ったのは世界中で大陸が沈むなど天変地異が起きた後の事。
御嶽山は日本の中心に位置しつつ最も標高の高い部類のお山だったと思われます。
元宮があった位山を奥宮とする里の水無神社が、その時代から御嶽山を遥拝したのかもしれません。
ご祭神/御歳大神(みとしのおおかみ)
住所/ 岐阜県高山市一之宮町5323 地図
アクセス/位山から11.5km
高山清美道路 高山ICから南へ11.9㎞
御旅所ー臥竜公園(岐阜県高山市)
公園に点在する線刻がのこる岩はやはり磐座で、御旅所に向かう一本道は古代の滑走路ではないかという意見もあります。
このラインは位山に向かうというよりは、冬至の日の出ラインに符合するということです。地図
富山 レイラインに関わる神社・遺跡
五箇山天柱石(富山県南砺市上松尾)24度ライン
東北自動車道福光インターから南に20キロ。地球を創生したスメラミコトが天と地を行き来した場所とされています。
五箇山というと合掌村が世界遺産に登録知れているところです。その奥。
直角に切り立った30mもの高さのある岩を登ると小さな祠があるそうです。そこで定期的にご神事が為されるとか。
天辺には神代文字が記され、天の浮舟でやってくる人や、巫女の踊りが示されているそうです。
天辺まで登るのはかなりな難所のようですが。
天柱石を発着台にして行き来したスメラミコト、7代を経ていよいよ地球の政をはじめられます。その場所が位山ということです。
住所/富山県南砺市上松尾 地図
アクセス/水無神社から82.8㎞
東北自動車道福光インターから南に20キロ
尖山(富山県中新川郡立山町)ピラミッドライン
とんがりやまと呼ばれるここは、上古24代アメノニニギノスメラミコトの神殿があった場所ということです。
ここからアメノウキフネにのり世界を巡行したそうです。
ここのてっぺんは平らになっておりストーンサークルの跡があって何人もの人が磁気異常を計測しています。
どうみても人工の山であり、元祖のピラミッドだと言われています。
位山も尖山も一本のライン上に位置しています。そして尖山と天柱石とタケウチスクネの墓がある場所が正三角形を描くという調べがあります。
地球を俯瞰した視点でなければできない、かなり緻密な幾何学を描く測量技術を古代の人が持っていたのは間違いないとしています。
住所/富山県中新川郡立山町栃津 地図
アクセス/天柱石から72.8㎞
北陸自動車道 流杉ICから南に14㎞
羽根神社(富山県富山市羽根1186番)位山羽根ライン
ご祭神 情報なし
御皇城山皇祖皇太神宮(おみじんやまこうそこうたいじんぐう 富山市金谷)
皇統初代スメラミコトで、世界統治をここから始められた。世界を16方位に分け16菊花紋章を制定したとのこと。
こちらこそ竹内文書の関係社です。
ご祭神/天日豊本葦牙気身光大神天皇( あめひのもとあしかびきみのしみひかりおおかみてんのう)
住所/富山県富山市金屋 地図
アクセス/尖山から33.5㎞
北陸自動車道 富山西ICから東へ3.9㎞
石川 ラインに関わる神社・遺跡
渚ドライブウェイ(石川県羽咋市)白鳥羽ライン
超古代の滑走路と言われています。地図
宝立山(石川県珠洲市若山町南山)位山羽根ライン
位山羽根ライン北の端。地図
そういえば、ホツマツタヱには若き日のタケミカヅチがヤマトの国絵(地図)つくるよう依頼を受けるくだりがありました。
そのうえでアマテルカミは新たにイサワを宮に決めたのでした。
タケミカヅチの測量技法がどのようなものだったか。タケミカヅチも天空から測量する技法を持っていたのでは?と思われます。
ホノアカリノミコトがアスカ宮に着任する際にはアマノイワフネで大和に降り立ったのでした。
空を飛んでいく船は特別なものではあったのでしょう。
日本による世界統治時代が終焉するにいたり、そうしたフネの表現は消えます。
カンヤマトイワレヒコ(神武天皇)による日本だけの統治時代に入るころのことです。
そうそう、ホノアカリが築山した天の香久山のお話はホツマツタヱに記述があります。
その天の香久山の土で祈祷をしたカンヤマトイワレヒコは天下をとれたのだと伝えられ、その後の1700年近く天皇は大和を離れませんでした。
超古代、日本が地球の真ん中で、日本が世界のひな型で、世界統治を始めたというその場所に行ってみたいと思うのは、そこで日本人としての矜持の元にある根源のルーツを感じ取りたいからです。
日本をあるべき姿に戻すことはすなわち自分自身をあるべき姿に戻すことでもあります。
五感を研ぎ澄まして日本屈指のパワースポットに行きたいと思います。
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