社会生活

【速報】令和の大嘗祭献上米産地は?天皇即位式日程、場所、行事内容、そして天皇直系の神々

即位礼天皇譲位

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【2019年5月13日更新】
斎田定点の儀(さいでんてんていのぎ)が行われ、五穀豊穣を祈る一世に一度の大嘗祭に献上される 東西二か所の献上米産地(斎田)が決まりました。亀卜で占なわれるということです。毎年の新嘗祭とはことなり、御代が変わる時だけに行われる一世一度の大嘗祭の斎田(令和という時代を豊かに良き年にと献上する)は栃木と京都と決まりました。

■亀卜とは

ウミガメの甲羅を火であぶり、水を垂らしてひびの入り方できめる。対馬でのこるウミガメ。どうひび割れたらどの地になるかなど、占いの詳細は全く非公開とのこと(竹田氏)。縦25㎝横15㎝ほどの将棋のこまのような形状。

平成は「大分」(主基”おき”、西)「秋田」(悠紀”ゆき”、東)
昭和は「福岡県」と「滋賀県」
大正は「香川県」と悠紀田(ゆきでん)として愛知が選ばれています。
明治天皇の時だけ、悠紀田は甲斐(山梨県)、主基田が安房(千葉県)となっていて変則的です。大正、昭和は京都を中心に東西に分け、平成では静岡より東日本として東西に分けたが、明治の御代のみ伊勢神宮に近い方を悠紀田(ゆきでん)としたそうです。

占いとは神様のご深慮を聞くということ。平成の年には秋田にやってきた台風がくきっと方向を変えたことで縁起がいいとされたのでは。(竹田氏)

昔のままの皇室行事がそのまま、一子相伝的に残されていることが、まだまだたくさんありそうです。すごいことですね。

【2019年4月17日更新】

天皇家の祖神である天照大御神に退位の報告のため伊勢神宮に参拝されます。17日は宇治山田駅から伊勢神宮内宮にご宿泊し、2019年4月18日10時半には外宮へ、午後には内宮へご参拝ということで、天皇として最後の地方訪問をされます。18日の宿泊は賢島とのこと。

伊勢神宮では剣璽動座が執り行われます。

【2018年10月24日】

「平成」という時代が終わりをつげ新しい元号に変わります。2019年4月30日に平成天皇、皇后両陛下がご退位後「上皇」「上皇后」となられすべてのご公務から退かれます。政府と宮内庁は儀式やお住まいのほか、補佐体制など202年ぶりの退位に伴う準備が着々と進められています。

私たち市井(しせい)の民にとっては、
「平成ってどんな年だったんだろう」
「平成に起きたことって、どんなこと?」

という、去り行く平成について振り返ること多くなってきていまして、メディアでも特集されたりしています。筆者にとっての平成はまるまる「子育ての時代」でした。あなたにとってはどんな時代でしたでしょうか?



皇室にとっての「平成」時代

皇室にとっての平成は、第125代今上天皇の時代になります。「激動の昭和」と言われる時代、昭和天皇の崩御を受けて平成時代が始まりました。江戸時代から平成に至るまでを振り返ります。

ちなみに、2018年の大河ドラマでは『西郷どん』が放映されています。まさに孝明天皇から明治天皇へ変わる代替わり時代のお話です。江戸時代という300年の歴史を閉じる大きな時代の変化があり、その中で皇室も大きく揺れた時代です。

■1000年の都、平安京の終焉「日本独自の文化」

第122代明治天皇がご在位されたのは1867年から1912年で、お父上である第121代孝明天皇は1831年から1867年まで7つの元号にわたりご在位されました。攘夷(じょうい)を貫き、諸外国の要求とのすれ違いから次第に権威が低下していったなか、病によって(毒殺説も)崩御されました。784年に遷都されてから1000年以上続いた平安京最後の天皇となりました。

明治天皇は1869年より東京城(江戸城)に移り崩御まで居住されました。それまで1000年もの間、外国との交流を最低限に抑えていました。

■明治時代「帝国主義」

1970年(明治3年)神道が国教化され国家神道として天皇の絶対化が新政府(岩倉具視、大久保利通ら)により進められました。天皇を近代国家の主体的君主として育成するため、宮廷改革を行なって旧習を廃し、天皇親政体制への切り替えをおこないました。
その中で天皇は外国人要人との会談を頻繁に行っています。英国女王ヴィクトリアの子・アルフレート、元アメリカ合衆国大統領ユリシーズ・グラント、ハワイ国王カラカウアなど。

1982年(明治15年)天皇の軍隊「陸海軍」とし軍備増強

1889年(明治22年)2月11日「大日本帝国憲法」公布。日本史上初めて天皇の権限(天皇大権)を明記。

1894年(明治27年)~日清戦争1904年(明治37年)~日露戦争で明治天皇は大本営で直接戦争指導に当たったという。

1911年(明治44年)欧米各国との不平等条約の改正を完了させ、名実共に日本は列強の一員となる。

1912年(明治45年)明治天皇の崩御により明治時代が終焉。

明治は日本が和魂洋才を推し進め世界の列強の一員となった時代。天皇は世界に向けた外交官として「育て」られ、宮中祭祀や全国の神社を取りまとめる改革を行われました。

■大正時代「デモクラシー」

カラダが弱く、18歳で結婚しつくった家族を大切にした大正天皇は、初めて一夫一婦制を実践した天皇となりました。「大正デモクラシー」運動が起きる時代の空気があったのでしょう。女性による社会運動が活発になり、洋行帰りの「ハイカラさん」が街を闊歩するようになりました。フェミニスト運動がはじまったのもこの時代です。運動家の努力が実り婦人参政権も得られるようになりました。

洋服革命も起き、男女とも洋服を着用し、「モガ(モダンガール)」「モボ(モダンボーイ)」が流行りました。洋画の巨匠が誕生し、宝塚歌劇団が始まったのも大正時代でした。レコードの普及や文学作品がおおく世に送り出された良き時代です。

第一次大戦に参戦し戦勝国となった日本。庶民の暮らしは守られていたようです。

1918年、大正天皇のお病状芳しくなく、宮中重要会議を経て皇太子による摂生政治が開始されました。

1926年、天皇崩御

■昭和時代「アメリカナイズ・ユーロビート」

戦前の時代は約20年、戦後は40年以上が昭和でありやはり「GHQの占領政策」や「戦後民主主義」が大きな影響力をもって日本の大改造が行われました。信教分離やサラリーマンが都市部へ出て仕事をするライフスタイルで大家族制から核家族へと社会の在り方が大きく変化しました。アメリカの豊かな文化に憧れ、日本文化より欧米文化を優位に置きました。「革命」したい学生運動が盛んになり、団塊世代(ベビーブーマー)が世の中の流行を作り出しました。モーレツサラリーマンと専業主婦のタッグで高度経済成長を遂げました。そして欧米型の個人主義がしらけ世代や新人類世代を生みだしました。そうした人たちが成人するあたりからバブル景気が到来し、日本総中流社会ともいわれました。男女雇用機会均等法が施行され、社会はいまだに「男社会」ではありますが、女性のパワーがどんどん強くなっていきました。

昭和天皇は、現人神であり、のちに象徴天皇として終戦に臨み常に民の心に寄り添っていらしたという印象が子どもながらにあります。床の間の掛け軸やお写真に仰々しく収まられている明治天皇とは明らかに異なる雰囲気でした。

■平成の社会

戦後民主主義が日本に定着し、復興日本がバブル景気に沸き世界NO.2の経済力を持つに至ったけれども、やがてバブルは崩壊してゆくという時代でした。平成生まれの子どもたちは「ゆとり世代」といわれ、社会人となっても常識も我慢もない精神的にひ弱で、叱ることもできない厄介者のように扱われました。社会では「失われた10年」とか「20年」と言われる就職難時代でもありました。そんな中、ITベンチャー企業が時代の寵児となり、情報化社会へと変貌した時代でもありました。

1993年(平成5年)皇太子殿下がご結婚されましたが、元外交官で海外生活も多かったであろう妃殿下は、宮中の文化になじむのに苦労されたようです。民間からのお妃選びは美智子さまから二世代続いたわけですが、皇統第125代を数え、2700年近い歴史を背負うということは大変なことなのだと思います。

こうしてみると、皇室が直接政治の実権を握っていた時代はずっと昔にさかのぼらなければなりませんね。

ところで、即位の礼にはどのような儀式があるのでしょうか。その由来なども調べていきます。



即位の礼の基本方針、日程、場所

即位礼(そくいれい)は、日本の天皇が皇位を継承したことを国の内外に示す(即位)儀式で、最高の皇室儀礼とされます。中心儀式の即位礼正殿の儀は、諸外国における「戴冠式(たいかんしき)」、「即位式」にあたります。

即位の礼の後に、五穀豊穣を感謝しその継続を祈る一代一度の大嘗祭(だいじょうさい)が行われ、即位の礼・大嘗祭と一連の儀式を合わせ御大礼(ごたいれい)といいます。

天皇陛下の退位と皇太子さまの新天皇即位に伴う式典を準備するために準備委員会(委員長・菅義偉官房長官)が、秋に式典委員会が首相を委員長に官房長官と3人の官房副長官、内閣法制局長官、宮内庁長官、内閣府事務次官で構成し設けられました。また「式典実施連絡本部」も設置され「式場・設備」「救護・防災」など計9つの専従班に分け、要人警護や接遇など実務に関する各省庁間の連絡調整を担っていきます。

基本方針は「各式典は憲法の趣旨に沿い、皇室の伝統等を尊重したものとする」と明記され、「基本的な考え方や内容は踏襲されるべきものだ」と昭和から平成への代替わりの前例を重視しています。

2019年に行われる御大礼(ごたいれい)の日程

2019年4月30日(火) 天皇陛下退位 「退位礼正殿の儀(たいいれいせいでんのぎ)」
2019年5月1日(水) 皇太子さまがご即位・改元 「剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)」と「即位後朝見の儀(そくいごしょうけんのぎ)」
2019年10月22日 「即位礼正殿の儀(ごくいれいせいでんのぎ)」「祝賀御列の儀(しゅくがおんれつのぎ)」
2019年10月23日 首相夫妻主催 晩さん会
2019年11月14日、15日 大嘗祭
2020年4月19日 「立皇嗣(りっこうし)の礼」

■退位礼正殿の儀(たいいれいせいでんのぎ)
天皇陛下退位の式典は国事行為として4月30日に皇居で行われます。

■剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)
皇室に伝わる剣や勾玉(まがたま)などを引き継ぐ儀式です。国事行為

■祝賀御列の儀(しゅくがおんれつのぎ)
新天皇が三権の長らを前に最初のお言葉を述べる「即位後朝見の儀」。国事行為

■即位礼正殿の儀(ごくいれいせいでんのぎ)
新天皇の即位を国内・国外に宣明します。国事行為として皇居・宮殿「松の間」で行われます。正殿の儀で天皇陛下が即位したことを宣言する時に使う儀式の象徴である「高御座」は、明治天皇、大正天皇、昭和天皇御代ともに京都御所にあり一貫して紫宸殿に保管されています。2018年9月25日夜から26日朝にかけ、新皇后が使う「御帳台」と共に解体されて4tトラック計8台で紫宸殿から皇居内に運び込まれました。2019年10月の正殿の儀が終わると、自衛隊のヘリコプターで紫宸殿に戻されます。

■祝賀御列の儀(しゅくがおんれつのぎ)
パレードで国民に広く即位を披露します。国事行為

■饗宴の儀(きょうえんのぎ)
パレードの日(22日)以降数日、外国元首らを招待します。国事行為

■首相夫妻による晩さん会
首相夫妻が主催する晩さん会。内閣行事

■大嘗祭(だいじょうさい)
国民の安寧や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る儀式。皇室行事

■立皇嗣(りっこうし)の礼
秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣」となったことを内外に示します。

こうした一連の儀式を終えると、新天皇、そして上皇(じょうこう)としての日常に入って行かれます。

天皇と上皇(じょうこう)の違いは?歴代の上皇は?

■天皇とは
「日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位」ということですが、歴史的には時代の”権力者”との関係で様々な説明がなされることもあります。今上天皇(きんじょうてんのう、現在の天皇)は第125代目の天皇という事ですが、初代天皇ってどんな方なのでしょうか。

初代天皇 神武天皇(じんむてんのう)
「カムヤマトイワレヒコ」が神武天皇のお名前です。父は「ウガヤフキキアワセズ(ウガヤフキアエズ)」。曽祖父にあたるのが、天孫ニニギノミコトになります。

アマテラスオオミカミ→オシホミミ→ニニギ→ホホデミ→ウガヤフキアエズ→カムヤマトイワレヒコ

ということですから、神武天皇は天照大御神の5世孫にあたります。神武天皇を初代として、天皇のその大元には天照大御神がいらっしゃるのですね。天照大御神からウガヤフキアワセスまでを「地神5代(ちじん5だい)」といいます。

その天照大御神の父はイサナキノミコトです。イサナキミコトの時代はアメナナヨ、「天神7代(てんじん7だい)」といいます。

クニトコタチ→クニサツチ→トヨクンヌ→ウビチニ・スヒチニ→ツノクイ・イククイ→オモタル・カシコネ→イサナキ・イサナミ

というように系図は神々の世まで遡ります。イサナキは最終的にイサナミが亡くなった時に「黄泉の国」と現世(うつしよ)を分かちます。それまでの世界は神々の世界だった認識されているようです。

そのあと地神が5代続きますが、ここは”地に降り立った神”とでもいえるような世界として名付けられたのでしょうか。そのあと、現世で人として中央集権の国を統べる、初代天皇が生まれたということです。

■天皇(てんのう)の呼称はいつから?

古い文章には「あまつかみ」「あまかみ」「あまきみ」「すへらき」「すべら」「あめのすへらき」「すめらのかみ」などという呼称で、天神7代地神5代について語られています。漢字に置き換えれば「天津神」「天神」「天君」「皇」「天皇(あめのすへらき)」となります。「ヲヲンカミ」という場合は天照大御神を指すようです。

カムヤマトイワレヒコが統べるようになって以降、景行天皇あたりまでは皇(すめらき、すへら、すべらき)と呼ばれていたようです。漢字が日本の公用文書に使われるようになり「てんのう」という音読みがでてきたようですね。日本の国史書として神々や天皇の系統が書かれた『日本書紀』は漢文で著されています。

『日本書紀』 「天皇卽帝位於橿原宮(天皇は橿原宮で帝位につきました)」
『古事記』 「邇芸速日命参赴きて、天つ神の御子(あまつかみのみこ)に白さく、天つ神の御子、天降りましぬと聞きしかば、・・・」

という記述で、外国向けに書かれた国史書であり720年に完成した『日本書紀』に「天皇」の文字があり、その中でカムヤマトイワレヒコを「神武天皇」と著しています。

■天皇(てんのう)の働き

もともと「あめのすへらき」という意味からは、天神地祇の意向をうけて、この世の世界を統べる働きが皇(すめらぎ)にはあったとみられます。ご神事(祀り、まつり)も政治(政、まつりごと)も同じだったのです。大宝律令が制定され、強力な権力を持つ公家・官職が登場し摂関政治がはじまったころから次第に傀儡(かいらい)政治がはじまり、天皇は政治の実権を手離していきました。「尊王論(そんのうろん)」が登場した江戸時代から”王政復古”し明治時代になります。ただ、政治の実権はやはり議会や軍部などが握っていました。

明治天皇以降は、皇室外交が期待され、国の安泰と平和をねがい国民の健やかなることを願い多くの宮中祭祀のほか、外交、慰問など行い、外国の王室などとの関係を築いたり、国民を励ますお姿がテレビでも拝見できます。

■上皇(じょうこう)とは、歴代上皇
天皇の退位等に関する皇室典範(こうしつてんぱん)特例法(退位特例法)の規定により退位する日本の今上天皇に与えられる称号。太上天皇(だいじょうてんのう、だじょうてんのう)の略名が上皇です。701年に制定された『大宝律令』で、太上天皇(上皇)の称号も定められたそうです。

歴代上皇の一部を上げておきます。

645年 皇極天皇(こうぎょくてんのう)が譲位し「皇祖母尊」(すめみおやのみこと)と呼ばれたのが初めての譲位
703年 持統天皇(じとうてんのう)が譲位し史上初の太上天皇(上皇)に。※701年『大宝律令』で地位が制定された
1817年 第119代光格天皇(こうかくてんのう)が譲位し上皇に。※645年~1817年までに59名の上皇が誕生した

持統天皇以来、太上天皇の称号は退位した天皇が自動的に称するものであり、特段の儀式は必要なかったようです。時代が下って嵯峨天皇は、自らの異母弟である淳和天皇への譲位に際し、政治的立場から太上天皇の称号の辞退を申し出ました。それから新天皇から与えられる地位に変化したということです。

太上天皇は在位の天皇を親権者として支えることから、天皇と同格の権威と権限を有するものとされていました。

明治時代に『皇室典範』が起された時、攘夷規定や太上天皇に関する規定が削られましたが、2017年に今上天皇の退位を行うための特例法である天皇の退位等に関する皇室典範特例法(退位特例法)が定められました。



新天皇誕生後、上皇(じょうこう)の暮らしは?

上皇、上皇后となる天皇、皇后両陛下の身の回りの世話をする組織として、現在の「侍従職」から独立した「上皇職」が設置されるもようです。侍従職は約80人、皇太子ご一家の世話をする「東宮職」は約50人だが、上皇職はどの程度の規模が適当なのでしょうか。

宮内庁幹部は「両陛下の私的ご活動の部分が不透明」と指摘。有識者会議で上皇を「格下げとしない」との意見が出たことも踏まえ、「譲位直後は東宮職と遜色ない態勢を整え、ご活動に支障が出ないようにしなくては」とということですから、約50人の上皇職が求められるとの見方があります。

上皇のお住まいは?

情報では新天皇となられる皇太子ご一家は皇居内の御所へ、上皇となられる天皇陛下は東宮御所とのこと。皇太子時代にお住まいになった思い出の場所で、費用を抑えたい両陛下のご意向によるものだそうです。

即位礼を調べながら、自分発見!

ということで、即位式や上皇について調べてきました。そんな中、いつもお優しい表情と、仲睦まじい姿を拝見できることで、どこか心のささえにしている自分を発見できました。

日本の土台を固め、国民の心の支えとなってくださっていた今上天皇・皇后両陛下には、感謝しかありません。いつもでもお元気で、そしてほんの時々でも構いませんから、お姿を拝見できたらとても幸せです。

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新元号「令和(れいわ)」の暗号解読

 

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