お話のろうそくのグリム版「灰かぶり」子どもたちによく読みました。
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グリム板『灰かぶり(シンデレラ)』あらすじ
母親を亡くし、新しくやってきた来た父のお嫁さんと連れ子のお姉さま二人は
その小さな女の子を「灰かぶり」と呼び、お手伝いさんよろしくこき使いました。
継母や継姉の存在は人生を翻弄する悪い「カルマ」のように灰かぶりに次々と襲い掛かります。
毎日洗濯をし掃除をし食事を作り、継姉の髪をとかしつけ、毎日のようにお豆を選りわけます。
そしてくたくたになって暖炉のそばの灰の中で眠るのでいつも真っ黒でした。
継姉は二人とも王子様のお嫁さん探しのための舞踏会に出かけます。
ドレスを着せ、髪を整えるのも灰かぶりです。
継姉を見送った後灰かぶりはお豆を選りわける仕事を朝までかかって終えなければなりません。
その灰かぶりを助けるものがいないわけではありません。
鳩が来てお豆を素早く選りわけてくれるし、母親の形見の小さな木さんは灰かぶりに頼まれるときらびやかなドレスを出してくれます。
そして本来の美しさを取り戻したシンデレラは王子様に見染められるのです。
誰よりも小さな足が彼女の「しるし」です。
足の大きな二人の姉は、一人はつま先を、一人はかかとを切り落としてまで
お妃さまの座を狙うのですが、嘘は簡単にばれてしまいます。
灰にまみれたまっ黒けの少女が一躍お妃さまとして迎えられるシンデレラストーリー。
少女の成功物語です。
そのプロセスには面白いマジックがあります。
魔法使いがいないシンデレラの魔法とは
お豆の選り分け仕事をシンデレラは与えられました。舞踏会に行きたくても絶対行けないぐらいの
山のような仕事にくくり付けておこうと、意地悪な姉たちは考えたのでしょう。
姉たちが舞踏会へ着飾って出かけるのとは真逆のコツコツと地味な作業を命じられます。そんな苦難が降りかかるとき、ハトや小さな木になってシンデレラを守護する存在が見事な仕事をします。
そのおかげでシンデレラは朝まで豆を選りわける必要も無く、姉たちの思惑を免れます。言われたことをすっかりやり遂げ、その足で舞踏会に出かけて散々王子と踊りまくり、12時には家に戻ってぐっすり眠りました。
かなりなハードスケジュールを姉たちに気づかれずに、シンデレラはこなします。
そうして、王子様に逢う機会をつくりお妃候補に挙がりました。
灰かぶりの家事タイムにはシンデレラに変身する魔法があります。
グリム版灰かぶりには魔法使いが現れません。
それは誰にでも起きる魔法であることを示唆しています。
夢を持つな
誰にでも起きる魔法のお話をしていきます。
そのための準備として「追いかける”夢”を見てはいけない」ということです。
「夢を持つな」とはある日、朝方の夢にきこえた言葉です。
「私の夢は○○です!」
そういったとたん、その夢を夢のままにして抱いていたくなる。
長年の夢であればあるほど、夢を追いかけるその姿を自愛するようになる。夢が叶ってしまうことを恐れるようになる。
「夢がかなっちゃったらそれからどうしたらしいの」と考える。
夢にしがみつく。
だから、夢はもつな。
夢に終わる想いなど抱く必要はない。
夢ではなくすべて目標として必ず達成することだ。
結婚相談所をしている友人が話していました。
「本当に本当に結婚したいんです!」と言っているのにお見合い申し込みがあっても、会いもしないで断る人がいると。
お断りするのは一回ぐらい会ってからでもいいと思うんだけどね、と。
なんだか「夢を持つな」の理由と重なるお話のような気がします。
夢を抱くワクワク感と、夢の前後に待ち構える現実と。
夢と現実の間に横たわる川を埋めるものがあるとしたら何でしょう。
シンデレラの物語で、王子様との結婚を夢見ていたお妃候補の継姉たちをさしおいて、ぼろを着たシンデレラが結婚できたのはなぜなのでしょう。
シンデレラが王子様と結婚できた理由
シンデレラがしていたことを思い出してみましょう。
灰かぶり時代に下働きを受け入れ、鳩の手伝いを受け入れ、
小さな木が落してくれたきらびやかな衣装を「灰かぶりの私には不似合い」とは思わず身に付けました。
すべて目の前に現れるまま、あるがまま素直に受け入れのです。
足が小さいことは、社会的基盤が小さいことを意味しますが、それは
”素直であること”を表しています。
目の前に現れることが、洗濯や掃除、灰の中に眠ることであろうが、きらびやかな衣装であろうが、拒否することはありません。
不平不満や批判につながる自分自身の尺度というものを持たず素直に受け入れている姿がシンデレラです。
自分尺度を持たないということは、裏を返せば自己限定をしないということです。
自分にはもったいないとか、自分には釣り合わないとか、そんな限定尺度を持たないのがシンデレラの”素直さ”です。
その結果としてきらびやかなドレスをまとった時”露に洗われた薔薇のような”本当の自分が出現したのです。
本当の自分が姿を現す時
一方、継姉たちの足は大きいのです。
母親も健在でさまざまにバックアップしてくれる背景を持ち、持てる者ゆえに一定レベルのものでなければ受け入れません。
それによって高慢な性格を作り出し、良くも悪くも自己尺度(大きな足)をもって生きています。
けれども、その大きな足は王子のお妃選びのお眼鏡に適いません。継姉たちの尺度は通用しないのです。
そうと知ってあわてて足を切り落として、痛い思いをしても「大きな足」を無かったことにすることはできません。
大きな足は「夢への自己尺度」であり、小さな足は「目の前の現実に素直である」ことです。
継姉たちは本気で王子と結婚したかったのではなくて、自分たちの夢を押し付けているだけだったということです。
結婚を成就させる物語のカギはシンデレラの「靴」
大きな足の人が履くことができない小さな「靴」がシンデレラの幸せな結婚を引き寄せました。
目の前に起きることはすべて正しいと信じ、素直に受け入れる習慣を身につけていました。
シンデレラのささやかな憧れは舞踏会でした。
だから、ドレスを求めて、亡くなった母親の魔法の木で手に入れました。
それを身に着けて露に洗われたバラに変身する自分を発見しました。
そして舞踏会の社交場へ、デビューします。おじけづかず、自己卑下することなく、自らの運命に素直に従います。
魔法が解ける時を告げるとシンデレラは急ぎ帰途に就きます。
その時落とした靴。靴だけは魔法が解けなかったのです。
シンデレラがあらゆる運命に素直に従い行動する人であることを、王子は悟ったのです。
王子という「ミッション」とシンデレラという「使徒」とを、靴が結びつけました。
二つが一つになって世の中のすべてはできているのです。二つがひとつになって願いが叶います。
夢と現実の間をとりもつモノとは
シンデレラの夢は舞踏会に出て王子様と踊ることでした。
けれども、他の娘たちの誰もが同じ夢を追いかけていました。
なぜ、シンデレラだけが夢をゲットしたのでしょうか。
それは「小さな足」であることが全てです。
大きな足とは・・・
「自分の知識にもとづく考え方」
「自分の経験からの自己尺度にもとづくやり方」
「自分の夢へのこだわり」
「運命に抗う」
小さな足とは・・・
「目のまえに起きることへを信頼し受け入れる」
「自己尺度ではなく運命に従うやり方」
「自分の夢へのあこがれ」
「運命に素直である」
夢があるところに近い「小さな足」
”夢”の属性は、天にあります。
神様の世界です。
神様の世界と人間社会の橋渡しが”夢”なのです。
夢と現実のはざまを埋める橋、それは素直に生きるということ。
「大きな足」は重く、地上に根差しています。天に上るには重いのです。
「小さな足」は軽く、天と近い場所にあります。だから夢と同化しやすいのです。
夢はもっていい。
「小さな足」であれば、夢はそのうち叶うもの。
「大きな足」の人が大半のこの世の中では「夢」ではなく「目標」を持てというお話でした。
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