神社へお参りに行くとき、一番お参りしたいのは鎮守神社です。
産土神社、氏神神社、鎮守神社といろいろありますが、まずは違いを知りたいですね。
産土神社とは生まれた土地の氏神様です。実家にきくと知っているかもしれません。
氏神神社は”村の鎮守”さんで、家族全員同じです。
鎮守神社は、個人をお守りする神様がご鎮座する神社です。
最も重要な鎮守神社は自分自身で調べることもできます。
いか、私が鎮守神社を探す時に行う手順をお伝えします。
氏神様を調べる場合はこちらをご参考に
⇒氏神様の調べ方
目次 Contents
鎮守様調べの手順ー大阪のAさんの鎮守調べをお手伝いしました
大阪のTさんからのご依頼で鎮守様をお調べしました。
Tさんの場合、生まれた住所(b)、現住所(a)と週末に過ごす場所(c)の三か所にご縁の土地がありました。
住所のある土地の地相を診る
まずは、全ての住所の地相を全体的に眺めていきます。
鎮守さん調べを受ける時、殆どは知らない場所なのでまずはどのような由緒のある土地なのかを感じるためです。
土地の事を知りながら感じるといった風です。この作業に2~3日かかることもあります。
ご住所の地形や、特徴とかどんな神社があるのかとかいろいろ目につく情報を集めます。
それをしながら、情報がまとまるのを待つのです。
今回のcは六甲山との関係が気になります。
六甲山からの山津波にたびたび襲われた地域であるようです。
瀬戸内海に面する土地は、かなり古くから瀬戸内海の航海を守る神々が鎮座したところでもあります。
瀬戸内海海運の要所であったのです。その、最も奥まった奥の院のような土地になります。
bは、瀬戸内海から紀伊半島に入る入り口に位置していて水際を守る土地になります。
aから流れ散るエネルギーをCとbで受け止めている形になっています。
三か所の住所の氏神神社を洗い出す
戦後はとくに日本も人口が増えて、新しい新興住宅地が次々と開発されました。
そんなこともあって氏神神社がどこなのか神社庁でもよくわからないということがおきてきました。
ご近所さんか、神社に問い合わせてくださいと言われてしまうこともあります。
そう言う場合は、鎮守神社を調べてお参りするのがベストではないかと思います。
今の段階では可能性のある神社のご祭神や由緒をざっと書き出していきます。
三か所の氏神神社に鎮守様がいらっしゃるかどうかを調べる
まずは、現住所の氏神様から調べます。案の定×。
cは本住吉神社がヒットしました。
bでは等乃伎神社がヒット。
さて、二つの神社を詳しく調べていきましょう。
本住吉神社(もとすみよしじんじゃ)
三大住吉神社の一つ、大阪の住吉神社はbの土地と現在地aを結ぶライン上にあります。
住吉さんは、Tさんには縁が深い神社であるとお見受けしました。
住吉神社のご祭神のこと
ご祭神は住吉三神といって底筒男神(そこつつお)、中筒男神(なかつつお)、表筒男神(うわつつお)といいます。
住吉神は船霊六神の1柱で、イサナキの命により底筒男神、中筒男神、表筒男神を祀ることになったことが『ホツマツタヱ』にあります。
住吉神の出身は筑紫で、船と海をまもる一族でした。
イサナキ・イサナミの最初の子ヒルコ姫が、二人の厄年に生まれたために慣習により捨てられることになった時、拾って育てる役割を住吉神が担ったのです。
住吉神は、ヒルコ姫を廣田神社で育てます。拾ったから廣田神社と呼ばれたのだそうです。
神功皇后のご宣託
神功皇后(じんぐうこうごう)摂政元年春2月、皇后が新羅より御帰還途中、武庫の水門で「吾 を御心、長田の国 に祠れ」とのお告げで創祀された、とするのが長田神社の由緒です。
神功皇后元年(西暦201年)三韓外征の帰りに今の神戸港で船が進まなくなって神占を行ったところ、稚日女尊(ワカヒメ、ヒルコ姫)が現れて「私は活田(いくた)に居りたい」と出たと言います。これが生田神社の由緒。
天照大御神の御神誨で、建国初の海外遠征に大勝利を授けられた神功皇后(第14代仲哀天皇のお后)により、凱旋帰国の帰り道、武庫の地・廣田の国に大御神の『荒魂』を国土の鎮め外難の護りとして鎮め祭ったと由緒にあるのが廣田神社。
大阪の住吉大社は、第十四代仲哀天皇の后である神功皇后 の新羅遠征の帰路、住吉大神の加護を得て強大な新羅を平定せられ無事帰還を果たされます。この凱旋の途中、住吉大神の神託によって現在の住吉の地に鎮斎した、という由緒が書かれています。
本住吉神社と住吉大社
本住吉神社の由緒にも「摂政元年」皇后海路よりして京にいでます。時に皇后忍熊王師を起して待てりと聞しめして、武内宿禰にみことおおせて、皇子を懐きて、横しまに南海より出でて、紀伊の水門に泊らしむ。皇后のみ船、直に難波を指す。表筒男・中筒男・底筒男、三はしらの神、おしえまつりてのたまわく、「吾が和魂をば大津の淳中倉の長峡に居さしむべし。すなわち因りて往きかよう船をみそなわさん」とのたまう。是に、「神の教のまにまに鎮めすえまつる。則ち平らかに海を渡ることを得たまう。」』とある。~としたところには、広田神社・生田神社・長田神社御鎮祭についてのことが述べられており、当時の(大阪)湾西部北岸に四社が祀られたものであろう。とあって、由緒は重複しているのです。本住吉神社では住吉大社の「本」だとしています。
Tさんの場合この二つの住吉さんの間にいて守られているという感じもしますね。
成長の家の発祥地 本住吉神社
谷口氏が快い湯加減に温まって身も清浄、心も清浄にあらい浄めたその後、勇湯から三丁の距離にある産土神社の本住吉神社に毎朝お参りし、日本の隆昌と皇室の御安泰とを祈願していたところ、本住吉神社の大神から霊感をいただき生長の家の説く真理を啓示された、その本尊神は住吉神社であるということです。
灘区住吉地区の地勢
近くの大日女尊神社の由緒に残る、昭和13年の山津波による住吉川決壊事故で、大量の土砂が境内に流れ込み、又、戦災と合せ甚大な被害を蒙り・・・という由緒からもわかるように、住吉川が谷を出た部分は土砂が堆積してできた土地であろうことが読み取れます。
六甲山から荒神山を経て、谷を大量の土砂が流れてできた土地なのです。
その流れはポートアイランドへむかっています。
本住吉神社 概要
住所/神戸市東灘区住吉宮町7-1-2
主祭神/底筒男神
配神/中筒男神 表筒男神 神功皇后 天児屋根命 大山津見命
アクセス/JR「住吉駅」より西へ徒歩1分
駐車場/無料
問い合わせ先/078-851-3746
等乃伎神社(とのぎじんじゃ)
古代国家の稲作農業にとって、一番大切なのは太陽と水の恵みでした。「とのぎ」という言葉は古代朝鮮の新羅語では「日の出・朝日」を意味するそうです。神社のクスノキ巨木の影がさしたといわれる高安山の頂上に立てば、当神社の方角に冬至の太陽が沈み、当神社からみると、高安山の頂上に夏至の「日の出」を拝みます。冬至の日は、1年のうちで最も日中の時間が短く、太陽の活力が弱まっています。等乃伎神社では、この冬至の日に太陽の恵みの復活を祈って祭が行われ、夏至の日に太陽の恵みに感謝して祭が行われたと伝えられています。当神社は太陽祭祀の重要な場所であったということです。
藤原一族とのご縁が深く、中臣氏祖神であるアマノコヤネノミコトをお祀りしています。
等乃伎神社 概要
住所/大阪府高石市取石2丁目14-48
ご祭神/天児屋根命(天照大神の侍神)
相殿神/ 大歳大神(須佐之男命の御子)
・ 壺大神(太陽神)
・ 菅原道真公(天神さん)
・ 誉田別尊(応神天皇)
摂社/宇賀之御魂神(お稲荷さん)
末社/天御中主神(高天原の天宰神)
問い合わせ先/(072) 271-0553
講師て挙げられた神社に鎮座する神様のどなたかが鎮守さんである可能性が高いと見立てます。
鎮守様を調べる
1柱1柱調べて、住吉大神が濃厚だとわかりました。
住吉大神が境内社などでも祀られている、周辺の神社を探します。
周辺神社
【淀川神社】淀川河口の海賊を取りしまる役人が集めた全国十五の守護神を祀る。天照坐皇大御神・八幡大神・住吉大神・賀茂大神・廣田大神・松尾大神・熊野大神・稲荷大神・三十川大神・春日大神・白山大神・大原野大神・子守大神・布留大神・生野大神
【大宮神社】応神天皇、神功皇后、姫大神
大国主神、事代主神、速素盞男神・二座、十五社大神、応神天皇・二座、菅原道真公
相殿 /鬼門守護社(鬼門守護大神)、天御中主社(天御中主神・二座)
境内社/稲荷社(宇迦之御魂神)高良社(高良大神)若宮八幡宮(仁徳天皇)北斗社(北斗大神)楠社(楠大神)春日社(春日大神、住吉大神、廣渕善直命)いぼ大神社(いぼ大神)行者社(役小角命)
【富島神社】速素盞嗚尊、天照皇大神、八幡大神、奇稻田姫命、豊受皇大神、住吉大神、菅原道真公
【神津神社】応神天皇、神功皇后、底筒男命、中筒男命、表筒男命、宇賀御魂神、菅原道真公、少彦名神、猿田彦神
【都島神社】後白河法皇が当地に御幸の際に十五の守護神が祀られた。廣田大神、住吉大神、熊野大神、三十川大神、白山大神、生野大神、小守大神、石上大神、春日大神、加茂大神、大原野大神、松尾大神、石清水八幡大神、稻荷大神
住吉神の勝手知ったる大阪、神戸ですから、多くのお社に住吉神は祀られています。
Tさんの場合は、周囲の氏神様よりは、住吉神が鎮座されている相性の良い神社にお参りされると良いと思います。
住吉神の事
住吉大神とは「すみよし」の名を最初に賜ったカナサキという守のことを指します。
住吉神には娘がおり、ハヤアキツヒメといいます。
祓戸四柱の一柱で、セオリツヒメとはとても近い女神です。
イサナキ・イサナミの最初の子ヒルコ姫をひろって育て、和歌の事を教えたのは住吉神で、和歌三神に列せられることもあります。ヒルコ姫はのちに「ワカヒメ」と名付けられた一つには和歌の名手であり和歌の神様だからと言われています。
住吉神は言霊を駆使する神様だったのですね。
「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」
これは、住吉神が海が荒れて船が進まない時に波を鎮めた回り歌です。
回り歌とは、前から読んでも後ろから読んでも同じ歌の事です。
古代人は、このようにして自然の元素と折り合う方法を知っていたのですね。
住吉神は全国に600社あるということです。
お近で通いやすく、相性の良いの住吉神に朔日15日とお参りされるとよろしいかと思います。(神社浴ナビゲーター)
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