除菌・殺菌社会が、人の行動の汚れを許さない社会とリンクしています。
行動の汚れを指摘し、許さず「公的人物の不倫」には特に厳しくなっているようです。
目次 Contents
除菌社会がもたらすもの
仏教には在家信者が自らを律して持ったおきてに「五戒」というものがあります。
在家 五戒
不殺生戒(ふせっしょうかい)生き物を故意に殺してはならない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい)他人のものを故意に盗ってはいけない。
不邪婬戒(ふじゃいんかい) みだらな性行為を行ってはならない。
不妄語戒(ふもうごかい) 嘘をついてはいけない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい)酒など惑わすものを飲んではいけない。
「不倫」は五戒の中の「不偸盗戒・不邪婬戒・不妄語戒」を犯すことに当たりますから、仏教的にみれば相当に重み罪であることは確かです。
このような戒律の意味は、「戎」は自らが生き方を律するために持つもので、「律」が社会的な法律です。
戒をもって生きることを「持戒する」といい、持戒することでやがては自らの身を守る「戎体」が出来上がると教えています。
他者との調和を乱す五戒を犯さないように生きようとすることで平和を保つ一歩としています。
ただ、「戎」とは自分が自分自身の行動を乱さない誓いであり、そもそも他者から与えられるものではありません。
行動のばい菌を排除しようとする除菌社会において、他者が騒ぎ立ててその人の全人生を奪うならばそれは「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)不妄語戒(ふもうごかい)を犯している」と言えないでしょうか。
そのあたりをわきまえることはとっても難しいことだと感じるこのごろです。
ドラマ『FINAL CUT』などは、そのようなことへの怒りの物語です。
「行動の不調和を除菌する社会」への生きづらさという意味では、オタク女子が多数登場する『クラゲ姫』や極度にオドオドする女性の話である『君が心に棲みついた』も生きづらさを描いているものでしょう。
行動だけでなく言葉と心が一致するとパワーが出る
仏教も古神道でも「行動だけ調和している」という理論はあり得ません。
「心と、言葉と、行動が一致していること」が大事だと教わっています。
行動を執拗に罰するわりに、現代人の言葉のなんと貧弱でさもしく、荒らしいことか。
日本語は「魔法の言葉」という事をご存知でしょうか。
古代日本では、「言葉=この世にあらわれる事象」でありました。
神々は言葉を発して物事を成就させていました。
それは大和言葉の中に「地球」と「天体宇宙」の周波数が組み入れられているからです。
けれども、その美しい構造のことを知らず、言葉は感情のままに乱れ切って世の中を浮遊しています。
言葉を質すことは、感情を糺す事にも等しいということです。
日本語のうつくしい構造
a.i.u.e.o という母音5音と、
t.k.m.h.r.n.y.s.w という父韻9音があります。※いわゆる子音のことを言霊学では父韻と言います
母音は地球の核、マグマ、表層などに近い周波数を持っており、父韻は宇宙にある水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星などに近い周波数を持っているとの研究結果が出て居ます。
母音×父韻=子音
日本語ってとっても合理的にできてます。
大地の法則と天体の法則を掛け合わせて現象が起きます。
風が吹き、波が起き、虫は去り、雨が降り、雨が止む。
そうしたことを起こしたのが日本の神々です。
日本の神々の子孫である私たち日本人は日本語という魔法の言葉を与えられているのです。
日本語って宝物なんです。
日本の言葉に込められた意味
むすこ むすめ
「苔の生すまで」と君が代に歌われるように「生す」子、「生す」女のこと。苔や木が天の雫を受けて大地に生すように人もまた天と大地から生すのです。だからむすこ、むすめといいます。「むす」は結びを連想します。むすびの神とは天と地を結ぶ神なのです。子どもたちは神様からの授かりものです。
いつくしむ
「いつく」とは斎祀ることで威光を畏敬し穢れを祓って祭ること。天地から生す子(むすこ)らを「いつくしむ」のは当たり前のことかもしれません。
おめでとう ありがとう
「お愛でたきこと」と褒め称えるおめでとう。「有難きこと」を感嘆するありがとう。
いただきます
食べものの根源は神様ともいわれるご先祖様方が様々に開発されたお料理をわが身の栄養として生命維持に役立てることです。そこに「意」の「ち(霊魂)」が吹き込まれた結晶です。「(いのちを)いただきます」という意味があります。
いのち
「い」は意志です。「ち」は霊魂。人の生命は心臓が動いているから生きているばかりでなく、意志と霊魂が宿ってこそイキイキとした生命力の元になります。
箸 はし
分断されたあちらとこちらを結び霊魂の行き来、天と地の往来を可能にする。橋も箸も同じ意味があります。いただいたいのちをわが身に入れる時にはお箸を使うのです。
花見 はなみ
「さくら」の「さ」は穀物神。「くら」は座。穀物神の華やぎに誘われて人は神の元で酒を酌み交わして喜び、秋の豊穣を予祝するのです。
庭 にわ
神様をまつる平らな場。神々がひもろぎや磐座にあるとき、しま(山斎)といった。「さにわ」とは神を庭に見届けるひと。
まつり
「ま」「つ」「真」「津」まことが集う。「り」は180度裏まであまねくまわる。神様に祀る(まつる)祝いがお祭り。政(まつりごと)は誠実なるもののことです。
いわい
「い」「わ」は「意」と「和」すこと。斎と書き、はじめ神様を祀ることでした。祀りは祭りや政に通じます。神様が宿る石のことを磐座(いわくら)といいます。神様と意が揃って「いのり」が叶ったね!と祝うこと。
いのり
「い」「のり」は「意」を「宣る」ことです。意志を宣言します。祝詞(のりと)とは宣り言です。言霊師とは”いのり”のあり方を知る人をいいます。
禊 身禊 みそぎ
「み」「そぎ」は「実」「削ぎ&注ぎ」。身を水で濯いでキレイな身にする。米を研ぐような感じでしょうか。
祓い はらい
「はら」「い(ひ)」は「張ら&払ら」「霊(ひ)」。邪なるもの、汚れたものを除き去り元(ゼロ)に戻して、まことを一杯にして張らすこと。
きたない
「き」「た」は「生」「田」のこと。日本語50音図の構成のことを「きた」といい、それがないことを「穢い(きたない)」といいます。田とは「用が足りる(たりる)」「国を治す(たす)」というように充分に整った状態を指します。
たから
「た」「か」は「田」「熱・光」。「ら」は創造する運動。田はあらゆる創造の元だったようです。”田”に”陽”が射して世の中に旋回運動を始めたら宝物になるのですね。
(記:言霊師)
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