【2019年3月18日更新】
樹木希林さんの夫、内田裕也さんが17日に肺炎により自宅で亡くなりました。妻を亡くして半年。希林さんの後を追うような死の報道に、この夫婦のあり方を、なぜ離婚しなかったのかについて少し理解できた気がしました。
内田裕也さんの偉業は、樹木希林さんとのエビソードがあったから報道され、多くの人の目に触れることになったという事実。
希林さんは「私のためにいる裕也」という言い方をされていましたが、その、女優として大切な鏡である裕也さんの「純粋さ」を世間に公表し、死の時には花道をつくれるように、40年以上別居してはいても夫婦であることを、希林さんは続けたのではないかという気がします。
希林さんの棺を前に、希林さんの愛用した赤いグラスにビールを注いて献杯し、天に召されますようにと祈ったという内田さん。希林さんの遺骨を前にして、顎の骨をハンカチに包んで持ち帰ったという内田さんに、あふれる純粋さを見つけることができます。ご冥福をお祈りします。
【2018年9月18日】
樹木希林さんが2018年9月15日に亡くなりました。75歳でした。
樹木希林さんはつねにその言葉で人を引き付ける女優さんでした。
30代で「ジュリー~~~!」と体をくねらすおばあさんを演じた時、夫の内田裕也さんは言ったそうです。「あれがなきゃ、いい女なんだけどな」と。
その夫に対して「内田さんの方が可哀そうだったかも。こんな変な女につかまって。私が親ならそう思う。」といって一生涯夫婦であることを譲らなかったことや、1年半だけの結婚生活で45年も別居夫婦であり続けたことなど、結婚とは?夫婦とは?にかけた”なぞ”はなかなか解けるものではなく、今後樹木希林さんの一生を描く作品など、出てきそうな予感があります。
目次 Contents
目の前の汚いものをかき分けてたどり着いたキレイな鏡
樹木希林さんが38歳ぐらいのときのコメントでは、内田裕也さんと離婚しないワケをこう語っています。
「私は内田さんの前に立つのが怖いんですね。」といいながら、なぜ怖いのかを語っています。
夫は世の中の汚いものをいっぱい持っている人。その汚いものをかき分けてかき分けてやっと見えてきたキレイな鏡がそこにあって、見るとそこに世の中で一番醜い姿の私が映っていた。そんなものを見せてくれる男はほかにいない。
私のために内田裕也という人はこの世にあるんです。と。
言葉通りにそれを受け取るなら、「私のために存在する人なんだから手放さない」なんて、ゴーマンに見えそうなところですが、そうみられないところが樹木希林さんらいしいです。樹木希林さんはいろんな意味で成熟していて、世の中を達観しているようなところがあり、それをストレートにわかりやすい言葉にして出すので、聞いた人はどこかスッキリして「笑い」として腑に落とすようです。
内田裕也さんにとっては相当怖い女だったようですが、樹木希林さんの名言を拾っていく中で、何かが見えてきそうです。
女優樹木希林、インタビューに答えて
2018年9月14日 ニューヨークビズ
「いいも悪いも、自分のことを俯瞰(ふかん)で見てる。」
だから、ギャラ交渉もすごく簡単だといっています。映画のオファーなら、出演や監督などでだいたいのボリュームは60年の経験でだいたいわかる。そのなかでもらえる金額を聞いて自分の評価と金額がマッチしない場合は「他の人に」といってオファーを受けないお話が出ています。
「演技をやるために役者を生きてるんじゃなくて、人間をやるために生きているということ。」
だから、人間としてどう生きるかがとても大事と語っています。
「だから人間は国が違っても、社会の仕組みが違っても、やっぱり根本的に感じるものが一緒なんだなぁって。」
世界中の国際映画祭の試写会での、各国の観客の反応に違いはあるかとの質問に答えて。
「日本ってね、あんなに祈りの場所がある国は世界的にも珍しいんですって。」「私なんか、宗教関係なく、手を合わせて祈る場所がいっぱいある国にいるから、やっとこう、生きていけるなって思うんです。」
ニューヨークに暮らす日本人へのメッセージを求められて。神社仏閣が沢山ある日本だから生きられる自分だが、ニューヨークに暮らすということは並大抵の強さ?若さ?かとそのタフさを語っています。そして
「これからの世界で、やっぱり日本という国が果たさなきゃいけない役目ってあるだろうって。それはやっぱり精神的な意味で牽引(けんいん)なされるべきじゃないかなと。」と日本の本当の良さを外国の人に伝えてほしいとつないでいます。
2018年8月5日 『ザ・ノンフィクション~転がる魂 内田裕也』
「内田裕也の眼がね、とってもそのね、こう世の中をにらみつけている見たいな眼なんだけれども、すごーく静かでね」
2018年7月27日 インタビュー
「何か自分で行き詰った時に、その場所だけ見ないで、ちょっと後ろ側から見てみるというゆとりがさえあれば、そんなに人生捨てたもんじゃないなというふうに、今頃になって思ってますので、どうぞ、物事を面白く受け取って愉快に生きて。」
2018年6月7日【インタビュー】厄介さに向き合い続ける、樹木希林の信念。
『万引き家族』で新しく家族になった女の子の話をみて「家族って何なのだろう」と考えさせられたというインタビュアーに「血がつながっていなきゃ、責任がないからね」というのに「内田裕也さんとは血がつながっていないが・・・」に応えて「子供を通じて繋がっているからね。」
「自分の人生にとって厄介な人がいるということ、そういうものを背負っているということは必要なことだなと思いますね。それは旦那でなくてもいいんです、子でも親でも。そういう厄介な人がいるから、自分が成熟していく。」
夫内田裕也と別れなくてもいい理由として。
「サラ・ベルナールという人が言ったとことなの。彼女は「扮装で7割以上、役作りができる」って言ったのね。でも、それに必要なのは、正しいものを選び取る自分の目。」
2016年5月27日号週刊朝日から
「私は美人女優の系列に一度も入ったことがなくて、ブスの代名詞みたいな感じ。だから人に見られるという感覚も一切なかった。長く役者をやるには、それが幸せだわね。55年も役者をやっちゃったけど、今となってみれば、おかげさまで上出来の人生だったなと思う。」
林真理子氏との対談の中で。
2015年5月30日『サワコの朝』より
「(この結婚が)ひとつの重しになるとおもった。」
30歳までで人生を達観したような心持になった時に内田裕也さんと出会い、結婚し、子どもを産んだときの実感として。私のような人間は、すっ飛んで行ってしまうところがあるが、それに錨をつけて世の中とつながり、責任を背負うことによって成長できるし、イロイロあるからささいな日常生活を喜べる、と。
2011年5月 「内田裕也、交際女性宅侵入で逮捕」の事件を受けて
「どうやって謝るかが男の器量ですよ。どんな器量でもって世の中に接するかが楽しみです。」
内田裕也さんの謝罪会見では、相手側や自分の家族に対して謝るなかで、繰り返し娘との親子断絶の様になってしまったいう話をされています。
「縁でしょう。」
ふたりを結びつけるものは何ですか?に応えて。「私の闇に見合うだけの、縁だったんじゃないかなと思えるからまあそれでいいかなと」
2007年4月 映画『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~』舞台あいさつで
「おもうしろうてやがて悲しきおかんです」
初日を控えた前日にファックスでエールを送ってくる夫が「ひそかに見に行く」というのにドキドキしながら一番待っているのは我が家の「時々、オトン」です。と会場の笑いをとっていました。
1981年3月 離婚騒動を受けてのインタビュー
「やっとここから夫婦に向かってあるいていくんだなとおもいます。」
1981年3月21日に離婚届を勝手に出してハワイに逃げた内田裕也は「非常に尊敬もできて感謝もしているんだけども」と言いつつ「プライベートをさらけ出すことにつかれた。放っておいてほしい。帰る気はない。」と答えていました。
「すごく美しい人だから、なんですよね。主人が。なかなか見当たらない人。」
「透明感とね、それこそ魂の美しさ。」
なぜ、別れないのか、内田裕也さんのどこに魅力をかんじるのかという質問に、38歳の樹木希林さんは上記のように答えています。一方の内田さんは「女優としては最高の女性。妻としては・・・難しいな。(反応を)想像できないタイプだからね。」
樹木希林にみる「上出来な人生を生きるコツ」
樹木希林さんは、夫が勝手に提出した離婚届けを撤回させるために裁判でたちむかい勝訴しました。
そこまでして守ったものは何だったのでしょう。
■樹木希林自身が抱える「破天荒さ」「汚いもの(ココロの闇)」を封じ、この世の中に錨を下すため
■責任ある行動によって、何気ない日常に喜びを見出すような上出来な人生とするため
この2つは、一つにつながっています。人生をよりよく生きるためには、自分の中の「闇」と折り合っていくことが大事なことなのでしょう。自分の中の「闇」は普通は表面に現れない。けれども樹木希林にとって内田裕也は「闇」を映し出してくれる唯一無二の相手であり、しかも、その相手に「透明感と魂の美しさ」まで見出しているのです。
お互いに自分のイヤなものも見るが、生きていれば自分の魂の美しさを引き出してもくれる関係だったのでしょう。
そのことが理解できない夫とそれを知っている妻。だからこそ、怖くて近くに暮らすにはつらすぎる妻だったのかもしれないな、と感じました。釈迦の手のひらにいるみたいでしょ?
ひょとしたら希林さんにはふたりが生まれてきた理由も、相手と結婚した理由もすべてわかっていたのではないでしょうか。だから、絶対手放してはいけないものだ、と。
「来世では出会わないよう気を付けたいと思う」とコメントした妻。
「(来世で、また結婚したいかという質問に)難しいな」とコメントした夫。
内田裕也さんは、母親のパワーから逃れようとする子どもにも見えてきます。いわゆるグレートマザーから親離れすることは、成人するための通過儀礼ですが、もしそうだとしたら、この人生で卒業できたのかしらん???
情報番組のコメンテーターからは「日本映画界にとってとても大きな存在をなくしたのですが、不思議なほど悲しくないのはなぜだろう」という言葉がよく漏れ聞こえてきました。
それは樹木希林さん自身が十分に「死」に対する準備ができたし「55年間も俳優として働くことができ、おかげさまで上出来の人生だったなと思う。」というようにお仕事もご家庭もやり切ったからなのでしょう。
どうしたら人生を生ききることができるのかのポイントを上げてみます。
1.すべての物事、それが夫婦であろうとも俯瞰して洞察し、行動する。魂のかたわれに対する責任から決して逃げない。
2.他の人と意見がぶつかっても断固として、自分の判断・スタイルを貫き通す(それが正しかったと後で判明する)
3.世の中出の自分の立ち位置を見極め、ブルーオーシャンをすいすい生き抜く(美人女優の道では戦わなかったので55年間芸能界で生き延びた)
樹木希林さんの物事の本質を見抜く洞察力や判断力はどこで培われたかというと、やはり、小さいころからの性格によるものだったとご本人が述懐しています。小さいころから人を黙って観察し、評価していたそうで、そのころから独自の価値観を養い人の見方を覚えたそうです。
31歳のときにあの「ジュリー~~~~!」をやっていたとは。老け役の方法とは「メイク」ではなく30歳の心のままのおばあさんで、「あれは、間違っていなかった。70歳になっても心が成熟するなんてことはなく、煩悩だらけ」と。そういうご自身は30歳でとても先見力があり成熟した女優だったという証明と言えましょうか。
そのおかげで、かずかずの映画やCMでほっこりしたり、笑わせてもらったり、樹木希林さんを目にするたびに愉快になれたことは本当にいい時間でした。
「発つ鳥あとをにごさず」そのままの美しい生き方を見せてもらいました。
家族のありかたが変化する
内田裕也さんと樹木希林さん夫婦のあり方について「家族とは」「家族の絆とは何なのか」という話題が口々にささやかれています。
40年以上別居状態で、たいてい希林さんは「家に帰ってほしい」「待っている」というメッセージを送り続けていました。それに対して「帰らない」を言い続けた裕也さん。時々はハワイに家族旅行に行ったり、孫3人を含めた家族写真を撮ったり、結婚雑誌のCMに二人で出演したりしていたようです。
2019年3月21日の春分が近づいています。
この一年を占う春分の日は満月で、太陽(陽)と月(陰)は対極に位置して月の輝きによって太陽の存在を愛でるという関係性が強調されます。
夫婦のあり方として、満月はまるで内田裕也さんと樹木希林さんみたいです。
妻が「満月」として輝くために、夫は自分の生き方が妻に干渉しすぎないように離れ、
夫の輝きを妻におしみなく注ぐ。妻は100%満面にその光を受け取る用意がある。
満月の前に、この、春分の満月が伝える「パートナーとのあるべき姿」をお二人は見せてくれたのかもしれません。
夫の「透明感のある美しい魂」を見出して、事件を起こしたことをネタにしながらも「美しい」と言い続ける人が、この世にたった一人存在していてくれるということ。見捨てず拾い上げてヨシヨシと磨く存在。
そういうひとになりたい。
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