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【クイーン】映画作りも苦悩と感動、伝説のバンドー世代を超えてはまる『ボヘミアン・ラプソディー』訳詞あり


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伝説のバンドと言われるクイーン。
『キラークイーン』をはじめて聞いたときは本当に驚きました。声、ハーモニー、曲想などすごく好きでハモりたいのに絶対まねできない楽曲でした。そんなqueenの伝説映画『ボヘミアンラプソディー』が大ヒット上映中です。日本では70年代に一次世代、80年代に二次世代が熱狂したクイーンですが、この映画のヒットで三次世代が生まれていると評判になっています。まさにみたかったクイーンを見せてくれた映画だったと。
10年前から企画があったというクイーンの伝説映画『ボヘミアンラプソディー』を紹介していきます。

クイーン伝説映画『ボヘミアン・ラプソディー』

伝説のバンド「クイーン」その生きざまが世界を変えた感動の物語~
10年前からクイーンのリードギタリスト、ブライアン・メイにより企画に挙がっていた壮大なクイーンの物語は大きく分けて、
〇下積み時代の話
〇ボーカル、フレディーマーキュリーのプライベートやセクシャリティ
〇エイズがフレディを蝕んでいきやがて死ぬ話
〇創作、ライブ、栄光
それらの話をどのように表現するか脚本のバランスに苦労したといいます。話題になっていたキャスティングの難航、伝説的ロック・バンドの壮大な物語を2時間に凝縮させるという神業的作業、そして製作終盤でのブライアン・シンガー監督の降板があったといいます。
フレディのビジュアルや歌唱力・楽曲を完コピしていると評判も高い今作ですが、その主役選びにも苦悩したと言います。フレディ役に抜擢されたラミ・マレックってどんな俳優なのでしょう。

ラミ・マレックのプロフィール

ラミ・セッド・マレック
生年月日/1981年5月12日(37歳)
出身地/アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス
身長/175㎝
家族/父:カイロのツアーガイドや保険販売、母:会計士(両親ともエジプト人)姉:ER医師、双子の弟:中学校教師

1999年 ノートルダム高校卒業
2003年 エバンズビル大学芸術学士号取得
2004年 『ギルモア・ガールズ』にゲスト出演したのが初演
2005年~2007年 『家族戦争』に出演し人気を博す
2015年~『Mr.robot』に主演しゴールデングローブ賞、プライムタイムエミー賞など多数受賞

エジプト系アメリカ人として、おそらくは大変な努力家であるご両親の血を引き継いで優秀な俳優として栄光への道を歩み始めたマレックを発見したとき、当映画のプロデューサーであるグラハム・キングに連絡してきた共同プロデューサー、デニス・オサリバンは言ったそうです。「フレディを見つけた」と。「彼以外にフレディ・マーキュリー役はありえない」となりメイも気に入ったというマレックでしたが、最初はフレディ役を引き受けることに不安を感じていたそうです。話を聞いたとき、無茶苦茶興奮したが、あとからことの重要さをひしひしと感じた、と言っています。

役作りのためにブライアン・メイ(ギタリスト)やロジャー・タイラー(ドラマー)にあって話を聞くこともしました。フレディ独特のダンス、インドで幼少期を過ごしてきたための独特のアクセントを習得することに一年以上かけ、過蓋咬合、前4本の出っ歯という特徴ある顔の骨格をにせるために義歯をつけたと言います。顔自体の造形はともかく、フレディの繊細な芸術性やハニカミといったたたずまいを完コピしてた!と感動を呼んでいます。

ただ一つ、声だけは完コピできなかったそうで、カナダのマーク・マーテルが再録したのです。

フレディの歌声を完コピするマーク・マーテル

クイーンのドラマーであるロジャー・テーラーがツアーメンバー募集したとき、マーク・マーテルが応募してきたのだそうです。彼の歌声に「信じられないほど、クイーンのボーカルに瓜二つ」と誰もが絶賛しています。ピアノを弾きながら歌うマーテルはまさにフ”復活したフレディ”です。

生年月日/1976年11月16日
出身地/カナダ、モントリオール
マーク・マーテルYouTube

こんなそっくりにうまいボーカルがいて、感動のライブシーンが構成されています。その上俳優がフレディよりフレディらしいという。。。

そんなマレックが自身がフレディに引き付けられた日々だったのではないでしょうか。撮影当初よりも終えた今の方がフレディに敬意を抱くようになったとインタビューに答えています。

素のマレックは生粋のエジプト人顔をしています。「フレディを白人の俳優に演じさせることなんて一度もかんがえたことはない」というプロデューサーがほれ込んだのは当然かも。ところでフレディ自身は白人ではないとのことですが、何人?

フレディ・マーキュリーの出身地、家族、親の宗教

あふれる才能、声、感性に恵まれた天才フレディはどのようにして生まれたのでしょうか。

本名/ファルーク・バルサラ
生年月日/1946年9月5日
生誕地/サンジバル保護国サンジバルストーンタウン(イギリス領)
出身地/インド マハーラーシュトラ州
家族/父:植民地政府の会計係、母(両親ともペルシャ系インド人でゾロアスター教信者)、妹

1953年ごろ ピアノを習い始める
1954年 インドムンバイ郊外の全寮制の英国式寄宿学校、セント・ペーターズ・ボーイズ・スクールに通う
1958年 12歳の時のバンド「ザ・へクティクス」でリトルリチャードなどをカバーするロックンロールバンド結成。「ラジオを聴き、その後で聴いた曲をピアノで再現する」耳コピの才能を発揮。
1963年 サンジバルの実家に戻る。
1964年 サンジバル革命勃発。アラブ人、インド人の多数が死傷。家族でイングランドに移住。アイルワース工業学校で芸術を学び、その後イーリング・アートカレッジへ進み、芸術とグラフィック・デザインの修了証書を受け取る。プロになり複数のバンドに加わるがうまくいかず。
1970年 ギタリストのブライアン・メイ、ドラマーのロジャー・テイラーが所属するバンド、スマイルに加わり、のちにフレディが「クイーン」と命名。同じころに自らの名をフレディ・マーキュリーとした。
1971年 バンドメンバーが出そろい、正式に「クイーン」結成とされる。
1973年 「レッド・ツェッペリンやディープ・パープル、イエスの亜流」と酷評される。
1974年 『輝ける7つの海』がヒット。母国イギリスでの評価は変わらず。その後三枚目のアルバムからの先行シングルとして『キラー・クイーン』が全英2位となり、作曲者であるフレディはソングライター・作曲家のための賞であるアイヴァー・ノヴェロ賞を受賞。(ヒットの火付け役は日本の女性たちだそうです)
1975年10月 『ボヘミアンラプソディー』が全英9週連続1位の大ヒットを記録。批判的メディアも絶賛した。
1976年 『伝説のチャンピオン』アメリカでも大ヒット。1978年にはフランスでも初ライブ。
1981年 初の南米進出。ブエノスアイレスやサンパウロでのライブで観客動員数を塗りかえた。
1983年 バンド活動を休止。ドイツで新たなバントメンバーと活動を始めるが元さやに。
1984年 テイラーの『RADIO GA GA』が19か国で1位に。南アメリカ、アフリカでも人気に。
1985年 リオデジャネイロライブでは2日間で観客動員数60万人という記録を打ち立てる。
1986年 ヨーロッパ諸国の全26公演で200万人以上の観客を動員。しかし、フレディの病状悪化を受け8月9日に30万人を動員したイギリス、ネブアースパークのライブを最後にクイーンメンバーが揃ってステージに立つ最後となる。
1991年11月23日 フレディの自宅前で記者会見が行われ、スポークスマンを通じて以下の声明文を発表している。「私はHIVテストで陽性と診断され、AIDS患者であることが確認されました。しかし私の身の回りの人々のプライバシーを守るため、この事実を隠しておくことが適当だと考えておりました。 しかし今、世界中の友人たちとファンの皆様に真実をお伝えする時が来ました。これからはこの恐ろしい病気に対して、私と私の医師団と世界中で私と同じように苦しんでいる人々と一緒に戦って下さい。」
1991年11月24日 フレディ・マーキュリーはHIVによる免疫不全が原因のニューモシスチス肺炎により45歳で死去。

なぜだか理由もなく、クイーンのことをフランスのバンドだと中学のころは思っていました。”ブリティッシュロック”とは全く違うものだと感じていました。その芸術性や軽ろやかに伸びるやわらかな声や美しいハモリにぐいぐい惹かれました。多くの日本人女性がクイーンに惹かれたのは、それまではハードロック、ブリティッシュロックが代表する「ロック」という音楽分野では男性ファンの独壇場であり、「ロック」という場に女性ファンの出る幕はなかったそうです。

地元のイギリスでは酷評されていたクイーンを初めて聞いた音楽雑誌の元編集長である東郷かおる子氏は「いいものを感じた」といい『ミュージックライフ』誌にモノクロのグラビアを載せたら、女性がものすごく食いついてきた、と話します。「ロック」ファンのステージに女性の出る幕をあけたのがクイーンだったと。1975年に日本で武道館ライブが決まっても、多くの人は”本物”なのか懐疑的だったと言います。ふたを開けたら2,000人もの女性が空港で出迎えるという、本人たちにとっても「違う惑星に来たみたい」な現象だったそうです。ただし、女性はビジュアルに惹かれてミーハーに追いかけると思ったらそれは違います、と東郷氏は話します。ちゃんと本質的に良いものをきちんと常識にとらわれずリスペクトする部分が女性にはあるようです。

フレディのプロフィールをしれば、芸術性や音楽の幅の広さは、フレディが触れてきた多くの文化や思想そして、人間として必要なものをしる「LOVE」の在り方とも深くかかわっていることがわかります。。ボヘミアンラプソディーは名曲といわれますが、その楽曲の中に詰め込まれているフレディ・マーキュリーの人生がみえるのかもしれません。

『ボヘミアン・ラプソディー』の歌詞

これは 現実の人生なの
それとも 幻想なのか

地滑りのような
この現実から逃れられない

目を開けて
空をみあげたらわかる

僕は貧しい男
でも同情はいらない

だって人生に置いて大切なもの(愛、友情、社会的地位、財産など)も
簡単に手にしては失ってきたんだから

多少の浮き沈みなんて
どうせ風の吹くまま

僕にはどうでもいい
僕には。

ママ
僕は今人を殺ししてしまった

ヤツの頭に銃を向けて
僕の引き金で、彼は死んだ

ママ
僕の人生は始まったばかりだったのに
全部、自分で放り出してしまった

ママ
あなたを泣かせるつもりはなかったけど
もし、明日の今頃僕が戻らなくても

そのままでいて
そのままで

何もなかったみたいに

もう遅い
僕は終わりだ

背筋が凍る
体中が痛くてたまらない

みんな さよなら
僕は行くよ

みんなに背を向けて
現実に向き合わなくちゃ

ママ・・・(どうせ風まかせ)

死にたくないよ

ときどき思う
僕なんか生まれてこなけりゃよかったって

僕の前に小さな男がみえる

から威張りする臆病者の道化者スカラムーシュ、
フラメンコタンゴを踊ってくれよ

雷と稲妻が落ち
ひどく恐ろしい

ガリレオ
ガリレオ
ガリレオ
フィガロ
偉大な人

だけど、僕はあわれで
そして、だれも愛してくれない

「彼は貧しい家の、哀れな男
このろくでもない人生から彼を救ってあげよう」

行き当たりばったりに僕を見逃してくれますか

【神に賭けて見逃さんぞ】

「見逃してやれ」

【神に賭けて見逃さんぞ】

「見逃してやれ」

【神に賭けて見逃さんぞ】

見逃してくれ

【見逃さん】

見逃してくれ

【絶対見逃さない】

見逃してくれ

絶対僕を離さないで

【だめだ、だめだ、だめだ】

ママ!ママ!
頼むから助けて

魔王ベルゼブブが悪魔を僕のそばによこしたんだよ
僕に

僕に

僕に

だから僕に石を投げつけ、目につばを吐きかけるつもりか?

僕を愛していると言いながら見殺しにするのか?

そんなことできるはずないよね

とにかくここから逃げなくちゃ

・・・・・・・

でも大したことじゃない

誰だってしっている

大したことはない

何もかも大したことじゃない

僕にとってはね

どのみち

風まかせなんだから

また見たい「クイーン」がここにいる

映画をみれば、また、フレディにあえる。
ラスト20分の完コピライブへと完結する物語を紡ぐ、フレディをとりまく人間ドラマが、多くの人を虜にしているようです。
大好きなクイーンが再現される。
現実のフレディより見たいフレディがそこにいて、まるで『ボヘミアンラプソディー』。

巧みな構成、完コピライブ、役者魂がそれを実現してくれる。そんな映画は最後のライブシーンにリアルに参加しているごとく、ペンライトを持っての応援上映となっています。ぜひ”生”クイーンのご体感をお楽しみあれ。

 

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