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仁徳天皇陵、ユネスコ世界文化遺産登録確実!誰が眠る墳墓?なぜあの形?

仁徳天皇陵

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日本一大きな古墳として小学校の歴史でも習う、仁徳天皇陵を含む”百舌鳥・古市古墳群”が「ユネスコ世界文化遺産一覧表への記載が適当」とのユネスコの諮問機関が勧告したことを文化庁が5月14日に発表しました。6月30日からアゼルバイジャンで開かれる会議により、正式に決定するようです。



目次 Contents

「百舌鳥・古市古墳群」 概要

仁徳天皇陵を最大とする「百舌鳥地区」と応神天皇陵を最大とする「古市地区」の古墳群49基が、今回の登録に関係しています。百舌鳥地区には23基、古市地区には26基の古墳が点在しています。この二つの地区は古墳全盛期の4~5世紀に政治・文化の中心であった地区で、大陸との交流を可能にする湾岸でもありました。

この墳丘は葬送儀礼の場であり、当時の土製建築技術を極めたもので、墳墓によって権力の強大さを象徴した歴史を物語っています。

仁徳天皇陵
出典元:文化庁「百舌鳥・古市古墳群について」

仁徳天皇陵所在地/大阪府堺市堺区大仙町7
アクセス/百舌鳥駅から400m
規模/
墳丘最大長/486m
古墳最大幅/654m
高さ/35.8m
墳丘基底部の面積/103,410平方メートル 、121,380平方メートル
実際の被葬者/不明

応神天皇陵所在地/大阪府羽曳野市誉田6丁目
アクセス/古市駅から北へ1.3㎞
古墳最大長/425m
実際の被葬者/不明

参拝時間/8:30~17:00
参拝できない日/※陵墓により異なる
土曜日、日曜日 、祝日、12月29日から翌年1月3日まで、 行事の実施,その他やむを得ない理由のため支障のある日
問い合わせ先/宮内庁書陵部古市陵墓管区事務所 072-955-1115

世界遺産登録される条件は(ⅰ)~(Ⅹ)までありますが、今回は(ⅲ)と(ⅳ)が適用されたようです。

(ⅲ)現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。

(ⅳ)歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。

ハフポスト日本版によれば、文化庁文化資源課の小林万里子課長は、「顕著な普遍的価値とともに、古墳群の歴史性や保存状況などの点でも真実性がしっかり認められている点も評価された」と語ったとしています。

もし登録されれば、令和第一号であり、大阪府としても初めての快挙となる古墳群のことを、歴史教科書でその名は知っているけれども、本当のところはどのようなものかを深く知る人は日本人でもあまりいないのではないでしょうか。

しかも、世界の三大墳墓とされながらも仁徳天皇陵や応神天皇陵は、本当は誰のお墓なのかが、どなたが埋葬されるのかすらわかっていないという不思議なことになっています。ということで、仁徳天皇陵と応神天皇陵を中心にわかっていることを調べていきます。



応神天皇はどのような功績を残された?

現在日本で約8万社あると言われる神社ですが、なかでも最も多い7817社(全国神社祭祀祭礼総合調査)を八幡信仰が占めていて、数の上では日本で一番多い神社になっています。その八幡信仰の主祭神が応神天皇になります。二番目に多い伊勢信仰が4425社であったので、相当な開きをもって断トツに多いのです。宗教学者島田氏は『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』において、八幡神は「韓国からの外来神」としているようです。『ホツマツタヱ』にも、ヤマトタケルが亡くなるところで終わっており、第12代景行天皇代までのお話以降の記載はないので、第15代である応神天皇の御代についてはわかりません。

応神天皇の母、神功皇后

応神天皇の母、神功皇后の出自について『古事記』では、新羅の王子天之日矛(あめのひぼこ)の末裔であるとしています。『ホツマツタヱ』によれば天之日矛は、第10代崇神天皇の御代に移住し、後裔が但馬守となっています。

そして仲哀天皇と結ばれて皇后となりました。韓半島の国々を所望した神々の神託を無視した夫・仲哀天皇の死後、神々は神功皇后のお腹の子(応神天皇)に三韓を与える神託を神功皇后に与えたので、皇后はそれに答えて三韓征伐に乗り出します。神功皇后はご神託を受けて、いろいろな場面で神と共に常に事を成し遂げています。三韓征伐の折には、応神天皇がお腹で臨月を迎えていたといいます。廣田神社の社伝にはこうあります。

廣田神社 由緒
廣田神社は、神功皇后摂政元年(西暦201年)、国難打破の道を示し、皇子(第15代應神天皇)のご懐妊を告げ、安産を守り、軍船の先鋒となり導き、建国初の海外遠征に大勝利を授けられた天照大御神の御神誨を受けた神功皇后(第14代仲哀天皇のお后・右の出陣図参照)により、御凱旋の帰途、武庫の地・廣田の国(芦屋・西宮から尼崎西部)に大御神の『荒魂』を国土の鎮め外難の護りとして鎮め祭ったと、『日本書紀』に記されている兵庫県第一の古社です。出典元:廣田神社

御祭神/天照大御神之荒御魂
御脇殿/住吉大神、八幡大神、諏訪建御名方神、高皇産霊神
創建/201年
所在地/兵庫県西宮市大社町7番7号
問い合わせ先/0798-74-3489

神風が吹き、波も韓半島に押し寄せる神威を見せ、無血で新羅の降伏を勝ち取った神功皇后は、高麗・百済の降伏も受けて、いわゆる三韓征伐は成功し凱旋帰国した折、筑紫にて応神天皇は誕生したのでした。

生まれる前から神がかり的な応神天皇を祀る八幡神社の総本社は宇佐神宮になります。

現代までつづく、日本で一番多い「八幡信仰」

宇佐神宮では全国の八幡神社は4万社と言っております。一之御殿に八幡大神(応神天皇)、二之御殿に比売大神、三之御殿に神功皇后が鎮座します。

宇佐神宮 由緒
御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地にご示顕に。応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされた方です。725年(神亀2年)、現在の地に御殿を造立し、八幡神をお祀りされました。これが宇佐神宮の創建です。神代に比売大神が宇佐嶋にご降臨されたと『日本書紀』に記されています。比売大神様は八幡さまが現われる以前の古い神、地主神として祀られ崇敬されてきました。八幡神が祀られた8年後の733年(天平5年)に神託により二之御殿が造立され、宇佐の国造は、比売大神をお祀りしました。三之御殿は神託により、823年(弘仁14年)に建立されました。応神天皇の御母、神功皇后をお祀りしています。神功皇后は母神として神人交歓、安産、教育等の守護をされており、そのご威徳が高くあらわれています。出典元:宇佐神宮

御祭神/八幡大神、比売大神、神功皇后
創建/725年※現在地
所在地/大分県宇佐市南宇佐2859
問い合わせ先/0978-37-0001

八幡信仰とはどういうものなのでしょうか。応神天皇の事績を追ってみましょう。

応神天皇の功績・御神徳

応神天皇は、お腹の中にいたころから「国」を与えられた生まれながらの皇太子であるというラッキーボーイです。さらに、臨月で出兵した神功皇后のお腹に15カ月も滞在して生まれた、神秘に包まれたお方でもあります。

応神天皇が皇太子となり、神功皇后が摂政政治を始めたのが若櫻宮といわれています。

磐余若櫻宮(いわれのわかざくらのみや)
所在地/ 奈良県桜井市谷344

■「海部」と「山部」を設置した
大和朝廷を組織化し、海事をつかさどる「海部」と、山をつかさどる「山部」を設置して、日本という国土の外と内を固め政権を盤石にしたということ。

■韓半島の国々との交流
母の神功皇后の摂政政治のころから、新羅や百済を我がものとし、当地との交流の中で、渡来人を多く受け入れ。大陸から技術や文化を取り入れた。自らも新羅王の末裔である。

■韓半島の国々をまとめる?
新羅の王子アメノヒボコが日本にやってきて、その後裔にあたるのが母神功皇后であった。アメノヒボコが日本にやってきた20年ほど後に崇神天皇が気比神宮を参詣した時に、そこに流れ着いた加羅国の王子ツヌガアラシトに出会って、王子は後に任那を打ち立てたと『ホツマツタエ』にある。応神天皇が即位する前に、ツヌガの気比大神を参詣した時の夢知らせにより「大神と名前を交換し神はイササワケになった」みたいな記述がある。任那の王となったツヌガアラシトが、新羅王家の血を引く皇子に”ホムダワケ”という名前と共に乗り移ったともいえる???ツヌガというのは角のことであるし、皇子には大きなコブがあったという記述もあり、ツヌガアラシトとホムダワケには共通点がある。(生まれ変わりか?)自らは大和王権の皇子として生まれ、そして遠いルーツでもある韓半島を統一するというような役割を自認していたのかもしれない。

気比神宮(けひじんぐう)
主宰神/伊奢沙別命(いざさわけのみこと)
創建/仲哀天皇8年 創祀は上古
所在地/福井県敦賀市曙町11-68
問い合わせ先/0770-22-0794

■儒教と漢字が伝わる
大陸との交流により論語と漢字が伝わった。

■難波への遷都
難波の大隅宮(おおすみのみや)、現在の大阪市東淀川区に遷都したとされる。

■巨大墳墓に埋葬される
”韓半島と日本を統一した”天皇として、大陸のように大きい墳墓をつくって威勢を示したのかもしれません。がしかし、その形にしても誰が埋葬されるかについてもいまだに不明です。

ということで、実に神秘のベールに包まれた天皇であることは確かです。
ただ、元々の太古の神様が鎮座したところに後から八幡信仰が定着するという形が多いです。宇佐神宮自体がそうですし。はちまんと読むのではなく、はやたのおおかみ、といわれていただろうという説もあります。その神は「八重垣の旗」を天照大御神から授かった、素戔嗚尊です。”はやたのおおかみ”の元祖であろう素戔嗚尊は、その昔、朝鮮に渡ったという逸話も残っていますし。いろいろな意味で「融合」しているからこそ、日本で数が多い神社となっているのかもしれません。

応神天皇は「外来の神」か?歴代皇后の系譜

応神天皇を「外来の天皇」といってよいのかはわかりません。血を引いていることは確かのようですし、”乗り移った神”も外国の神らしいです。しかし、天皇男系の末裔(すえ)であることは系図上では確かですから。

歴代天皇のお后様の血筋は?

初代 神武天皇(じんむてんのう)の母 タマヨリヒメ(父は賀茂建角身命・住吉神子孫)
2代 綏靖天皇(すいぜいてんのう)の母 タタライソスズヒメ(父は八重事代主ツミハ)
3代 安寧天皇(あんねいてんのう)の母 五十鈴依媛ミソスズヒメ(父は八重事代主ツミハ)
4代 懿徳天皇(いとくてんのう)の母 ヌナソヒメ(父はアタツクシネ)
5代 孝昭天皇
(こうしょうてんのう)の母 アメトヨツヒメ(父は綏靖天皇の孫)
6代 孝安天皇
(こうあんてんのう)の母 ヨソタリヒメ(父はタカクラシタ「天香山命」の3世孫)
7代 孝霊天皇
(こうれいてんのう)の母 オシヒメ(父は叔父、孝安天皇の兄弟)
8代 孝元天皇
(こうげんてんのう)の母 ホソヒメ(父は磯城の県主)
9代 開化天皇
(かいかてんのう)の母 ウツシコメ(父はニギハヤヒの4世孫)
10代 崇神天皇(すじんてんのう)の母 イカシコメ(父はニギハヤヒの5世孫)
11代 垂仁天皇(すいにんてんのう)の母 ミマキヒメ(父は孝元天皇の子オオヒコ)
12代 景行天皇(けいこうてんのう)の母 ヒハスヒメ(父は開花天皇の孫タニハチヌシ丹波道主命)
13代 成務天皇(せいむてんのう)の母 八坂入媛命(やさかいりひめのみこと)(父は崇神天皇の皇子)
14代 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の母 両道入姫命(ふたじいりひめのみこと、垂仁天皇の皇女)
15代 応神天皇(おうじんてんのう)の母 神功皇后(父は開花天皇の玄孫、母は新羅王子天日矛(あめのひぼこ)裔
16代 仁徳天皇(にんとくてんのう)の母 仲姫命(なかつひめのみこと、景行天皇の孫)

ということで、当然と言えば当然ですが当時の政治の中心にいる力のある家の娘をお后に据えているということです。
6代孝安天皇は皇統とアスカ宮(丹波系)の結合ともいえ、神功皇后の系譜は丹波からの妻を歴代娶っているのに、但馬との結合として神功皇后が誕生しています。そして14代に嫁ぎ、15代となって皇統+アスカ宮+新羅が成立した形です。そのような「統合」の象徴が応神天皇なのかもしれません。

応神天皇から地盤を受け継いだ仁徳天皇は善政を敷き、大規模な土木工事でインフラを整えた稀有な天皇だったということですね。不思議なのは、応神天皇や神功皇后を祀る「八幡さん」がこれほど日本に多いのに、善政を敷いたのにもかかわらず仁徳天皇を祀る神社は少なく、主宰神となっているところもあまり見かけないことです。

難波神社(なんばじんじゃ)
御祭神/仁徳天皇、配祀 素戔嗚尊
創建/反正天皇代
所在地/大阪府大阪市中央区博労町4丁目1番3号
アクセス/本町駅から徒歩4分
問い合わせ先/06-6251-8000

高津宮(こうつうぐう)
御祭神/仁徳天皇
創建/866年
所在地/大阪府大阪市中央区高津1-1-29
問い合わせ先/06-6762-1122

仁徳天皇陵の大きさに比べ、神社の数はあまり多くはありません。実際の被葬者が確定していないわけですから、まだまだ解明されるべき歴史の証拠がそこに横たわっているということになります。



なぜ、仁徳天皇が日本最大の墳墓に埋葬されたのか?なぜ、あの形?

徳の篤い仁徳天皇や応神天皇の存在が、世界の人々に関心を持たれることはうれしいことです。日本人としても歴史や概要をある程度は知っておきたいものだとおもい調べましたが、八幡信仰について、応神天皇についてなんとなく持っていた”不思議”がホンの少しは理解できました。

それにしても、世界三大墳墓の一つともいわれる日本最大の墳墓に、祀られる神社も少ない仁徳天皇が、なぜ埋葬されたのかについてはよくわかりません。

また、墳墓のあのカタチ。上空からの絵では「鍵穴」に見えるあの形は「前方後円墳」と江戸時代の学者が名づけたからそういわれていますが、「前円後方墳」のほうがピンとくる、という人も多いはず。ちなみに英語では「Keyhole-shaped tomb」というのだそう。やっぱり鍵穴にみえるということですよね。

世界三大墳墓にあげられる「クフ王のピラミッド」「秦の始皇帝陵」は左右対称のお山型ですが、仁徳天皇陵の周辺の古墳はだいたい鍵穴型になっています。このカタチには神々の世界に存在する蓬莱山、これが壷の形をしている説があります。

■つぼ型である蓬莱山を模した
日本という国自体が「蓬莱」にあり、富士山のことを蓬莱山といった時代もあったそうですから、日本において「蓬莱山がかぎ型(つぼ型)」という感覚はあまりないように思います。

■火星の墳墓を写した
霊能者の見立て。

■鍵穴の中の秘密
いろいろな民族や人々の心を束ねるため、戦の無い平かな日常を末永く続けることを意図して墳墓があり、「鍵穴」のなかに秘密が隠されている、という霊能者の見立て。

■古代イスラエルの痕跡

仁徳天皇陵に埋葬されるのは誰?発掘開始

天皇のお墓である以上、静かに安寧にということで、これまで発掘が管理する宮内庁に許可されていなかった仁徳天皇陵の発掘が解禁になるという発表が平成19年になされ、2018年10月後半より宮内庁と堺市との共同発掘作業が開始されることがわかりました。堺市では発掘調査の資料を公開したりしています。この発掘は、墳丘を囲む堀の護岸工事の資料収集が狙いであり一番内側の堤を3カ所発掘して、埴輪などの遺物や遺構の有無を調べるということ。なので、だれが埋葬されているのかという核心にはまだまだ遠い。。。

ハフポスト日本版の取材によれば、宮内庁では仁徳天皇陵について「元禄年間に朝廷が仁徳天皇の墓と指定しました。宮内庁もこの見解を支持しています。考古学者の間で諸説出ていることは認識していますが、墓碑銘などの100%確実な”仁徳天皇陵ではない”という証拠が出てこない限りは、指定を変える予定はありません」とのこと。

解らないことがいっぱい!だから面白い!とはいえますね。

 

 

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